陸上自衛隊「人事抗争」と醜い内紛
南スーダン「日報隠し」の深層
2017年5月号公開
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)へ派遣した陸上自衛隊部隊の日報問題は、防衛省の「特別防衛監察」に発展した。防衛省は監察結果の公表をなるべく先送りしてダメージコントロールを狙う構えだが、この問題の根は深い。それは、当初は存在しないと主張していた日報が見つかった事実関係だけではなく、日報の不存在を最初に言明した陸自サイドが自分たちの瑕疵を隠蔽するために、公共放送で「責任回避」を狙った痕跡が残っているからだ。これでは、軍部がマスコミを支配下に置き、虚偽の情報で戦意を煽った第二次世界大戦のときと変わらない。日報隠し問題が照らし出す陸自の異変。その背景を探ると、人事抗争の激化で弛緩する日本最大の組織の内実が浮かび上がってくる。
まず、日報隠し問題の経緯を簡単に振り返っておく。昨年秋、ジャーナリストが首都ジュバで活動する陸自部隊の同年七月七〜十二日までの日報開示を請求した。このころ、ジュバでは大規模な武力衝突が起きている。請求は「駆け付け警護」の任務付与を巡り、国会で論議が白熱化した時期だった。
防衛省は十二月二日、陸自の説明に基づき「日報は既に廃棄されている」と不開示を決めた。だが自民党の河野太郎元公文書管理担当相が同月二十二日「電子データは残っているはずだ」と再調査を要請すると、その四日後に同省統合幕僚監部が電子データで保管していたことを確認した。防衛省は翌一月二十七日になってから、稲田朋美防衛相にその事実を報告。二月に入り、防衛省が河野氏に開示し、日報の存在が明るみに出た—。これが最初の日報隠しだ。
稲田防衛相より早かったNHK
三月十五日になると、今度は「破棄した」と言い張ってきた陸自内部でも、日報が電子データで保管されていたとNHKが特報した。それによれば、一月中旬に陸自での電子データの存在が判明。陸自上層部に報告され、いったんは公表に向けた準備に着手した。しかし、防衛省幹部の一人はNHKの取材に「『いまさら出せない』となり、公表しないことになった」と証言。一方で陸自トップの岡部俊哉陸上幕僚長が「日報の電子データが残っていた話は聞いていない。司令部を探したうえでなかったという部下の報告を信じるしかない」と話したことも紹介した。
陸自でも日報が存在したにもかかわらず、隠蔽されてきた。これが二番目の日報隠しだ。
その後も、NHKの「独走」は続く。陸自の日報問題を巡り、岡部氏は一月中旬に陸自の日報保管について報告を受けていた。「いまさら出せない」との方針は、陸自から一月下旬に日報保管の報告を受けた統幕の防衛官僚(背広組)が防衛省の上層部に相談した結果だったと続報した。陸自での日報隠しは、背広組の仕業というわけだ。しかも、三月十五日のニュース時点で「日報の電子データが残っていたという話は聞いていない」と断言していた岡部氏が、実は一月中旬に既に事実を把握していたことが強調されている。
一連の報道が印象づけたポイントは、陸自の日報隠しの「主犯」は背広組であり、陸自トップの岡部氏が嘘をついた形になったこと。
極めつきは、四月六日にNHKが報道した陸自の調査報告書。これまたNHKの「独走」だった。NHKのニュースは、特別防衛監察に向けた陸自の調査報告書の概要を伝えた。日報は存在しないという当初の陸自の説明は「担当者の誤解が原因」だったこと、一月中旬には日報の保管を岡部氏が報告を受けて把握していたことなどに加え、三月に入ってから外部の問い合わせに、陸自で日報は破棄されたと説明するマニュアルがつくられたことも報じた。稲田氏はこの調査報告書について、事前に説明を受けていない。NHKは防衛相よりも早くこの報告書の内容を知り、放送したのである。
背広組「主犯説」と岡部降ろし
これまでの経緯から、謎の闇に光明が差してくる。察しの通り、NHKにリークを続けてきた情報源は「陸自内部の蓋然性が極めて高い」(関係者)。報告書に至っては、内容を知り得た陸自幹部は数人しかいない。この前から続いた報道が際立たせたのは背広組の責任論、そして岡部氏を言動不一致に追い込む策動だ。
そもそも誰がどんな目的で、さまざまな情報をNHKにリークしてきたのか。普通に考えれば、積極的にリークする理由など全く見当たらないが、特定の意図が潜んでいるとすれば話は別だ。
謎を解く鍵は、一連の報道で誰が得をするかである。確かに、背広組の関与や岡部氏の脇の甘さはあったのかもしれないが、本質はそこではない。最初に調査された陸自が「破棄したので存在しない」と言い切った事実こそ、最大の問題であり、事の発端だ。それが相次ぐ続報で相対化され、そもそもの責任論がぼやけたことに着眼しなければならない。その後、背広組や岡部氏が登場する続報の連発により、最初に陸自で誰が隠したのかが遠景になってしまった。
推理を重ねると、摩訶不思議な相次ぐリークやその内容の背景を解き明かすことができる。
それは「最初に陸自の日報を隠蔽した人物から目をそらせると同時に、天敵である背広組への意趣返しと岡部氏の失脚を画策し、自らに都合の良い情報を垂れ流した」(防衛省OB)という見立てである。つまり、陸自の日報隠しの責任者とNHKの情報源は同一の人物かグループ—。とすれば「真犯人」は岡部氏に準ずるポストやそれに連なる主流の数人に絞られる。前出OBは「報告書のリークは『頭隠して尻隠さず』であり、あまりに稚拙だ」と冷笑する。
この混迷の背後には、歯車の狂った人事の陥穽が潜む。陸自は二〇一五年夏の人事で、ツートップと言われた当時の番匠幸一郎西部方面総監と磯部晃一東部方面総監が「喧嘩両成敗」(陸自幹部)の形でいずれも退任を余儀なくされた。このときの陸幕長は岩田清文氏で、自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長(海自出身)の後継を虎視眈々と狙っていた。ポスト河野の座をつかむには、岩田氏は河野氏と交代できる一六年まで陸幕長に居座る必要があった。そのため一五年の人事で、番匠、磯部両氏を切ったのである。
ところが、岩田氏の目論見は外れた。一六年七月に退任に追い込まれ、安倍晋三首相からの信頼の厚い河野氏が続投する。この結果、ダークホースの岡部氏が「棚ぼた」(前出幹部)で陸幕長に就いた。
そして「米ソ冷戦後に地域紛争が勃発したように、番匠派と磯部派が消えた後に陸自内部は混迷の星雲状態に陥った」(防衛省幹部)。派閥抗争があってもそれが均衡していれば、奇妙な安定感を醸し出す。いま陸自には、この均衡すら消えて「番狂わせの岡部氏を引きずり降ろしたい力学が働いている」と前出幹部は指摘する。折しも北朝鮮の核ミサイル問題を巡る緊張で国防は予断を許さない。私利私欲と自己保身の闘争に明け暮れている場合ではないのだ。
まず、日報隠し問題の経緯を簡単に振り返っておく。昨年秋、ジャーナリストが首都ジュバで活動する陸自部隊の同年七月七〜十二日までの日報開示を請求した。このころ、ジュバでは大規模な武力衝突が起きている。請求は「駆け付け警護」の任務付与を巡り、国会で論議が白熱化した時期だった。
防衛省は十二月二日、陸自の説明に基づき「日報は既に廃棄されている」と不開示を決めた。だが自民党の河野太郎元公文書管理担当相が同月二十二日「電子データは残っているはずだ」と再調査を要請すると、その四日後に同省統合幕僚監部が電子データで保管していたことを確認した。防衛省は翌一月二十七日になってから、稲田朋美防衛相にその事実を報告。二月に入り、防衛省が河野氏に開示し、日報の存在が明るみに出た—。これが最初の日報隠しだ。
稲田防衛相より早かったNHK
三月十五日になると、今度は「破棄した」と言い張ってきた陸自内部でも、日報が電子データで保管されていたとNHKが特報した。それによれば、一月中旬に陸自での電子データの存在が判明。陸自上層部に報告され、いったんは公表に向けた準備に着手した。しかし、防衛省幹部の一人はNHKの取材に「『いまさら出せない』となり、公表しないことになった」と証言。一方で陸自トップの岡部俊哉陸上幕僚長が「日報の電子データが残っていた話は聞いていない。司令部を探したうえでなかったという部下の報告を信じるしかない」と話したことも紹介した。
陸自でも日報が存在したにもかかわらず、隠蔽されてきた。これが二番目の日報隠しだ。
その後も、NHKの「独走」は続く。陸自の日報問題を巡り、岡部氏は一月中旬に陸自の日報保管について報告を受けていた。「いまさら出せない」との方針は、陸自から一月下旬に日報保管の報告を受けた統幕の防衛官僚(背広組)が防衛省の上層部に相談した結果だったと続報した。陸自での日報隠しは、背広組の仕業というわけだ。しかも、三月十五日のニュース時点で「日報の電子データが残っていたという話は聞いていない」と断言していた岡部氏が、実は一月中旬に既に事実を把握していたことが強調されている。
一連の報道が印象づけたポイントは、陸自の日報隠しの「主犯」は背広組であり、陸自トップの岡部氏が嘘をついた形になったこと。
極めつきは、四月六日にNHKが報道した陸自の調査報告書。これまたNHKの「独走」だった。NHKのニュースは、特別防衛監察に向けた陸自の調査報告書の概要を伝えた。日報は存在しないという当初の陸自の説明は「担当者の誤解が原因」だったこと、一月中旬には日報の保管を岡部氏が報告を受けて把握していたことなどに加え、三月に入ってから外部の問い合わせに、陸自で日報は破棄されたと説明するマニュアルがつくられたことも報じた。稲田氏はこの調査報告書について、事前に説明を受けていない。NHKは防衛相よりも早くこの報告書の内容を知り、放送したのである。
背広組「主犯説」と岡部降ろし
これまでの経緯から、謎の闇に光明が差してくる。察しの通り、NHKにリークを続けてきた情報源は「陸自内部の蓋然性が極めて高い」(関係者)。報告書に至っては、内容を知り得た陸自幹部は数人しかいない。この前から続いた報道が際立たせたのは背広組の責任論、そして岡部氏を言動不一致に追い込む策動だ。
そもそも誰がどんな目的で、さまざまな情報をNHKにリークしてきたのか。普通に考えれば、積極的にリークする理由など全く見当たらないが、特定の意図が潜んでいるとすれば話は別だ。
謎を解く鍵は、一連の報道で誰が得をするかである。確かに、背広組の関与や岡部氏の脇の甘さはあったのかもしれないが、本質はそこではない。最初に調査された陸自が「破棄したので存在しない」と言い切った事実こそ、最大の問題であり、事の発端だ。それが相次ぐ続報で相対化され、そもそもの責任論がぼやけたことに着眼しなければならない。その後、背広組や岡部氏が登場する続報の連発により、最初に陸自で誰が隠したのかが遠景になってしまった。
推理を重ねると、摩訶不思議な相次ぐリークやその内容の背景を解き明かすことができる。
それは「最初に陸自の日報を隠蔽した人物から目をそらせると同時に、天敵である背広組への意趣返しと岡部氏の失脚を画策し、自らに都合の良い情報を垂れ流した」(防衛省OB)という見立てである。つまり、陸自の日報隠しの責任者とNHKの情報源は同一の人物かグループ—。とすれば「真犯人」は岡部氏に準ずるポストやそれに連なる主流の数人に絞られる。前出OBは「報告書のリークは『頭隠して尻隠さず』であり、あまりに稚拙だ」と冷笑する。
この混迷の背後には、歯車の狂った人事の陥穽が潜む。陸自は二〇一五年夏の人事で、ツートップと言われた当時の番匠幸一郎西部方面総監と磯部晃一東部方面総監が「喧嘩両成敗」(陸自幹部)の形でいずれも退任を余儀なくされた。このときの陸幕長は岩田清文氏で、自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長(海自出身)の後継を虎視眈々と狙っていた。ポスト河野の座をつかむには、岩田氏は河野氏と交代できる一六年まで陸幕長に居座る必要があった。そのため一五年の人事で、番匠、磯部両氏を切ったのである。
ところが、岩田氏の目論見は外れた。一六年七月に退任に追い込まれ、安倍晋三首相からの信頼の厚い河野氏が続投する。この結果、ダークホースの岡部氏が「棚ぼた」(前出幹部)で陸幕長に就いた。
そして「米ソ冷戦後に地域紛争が勃発したように、番匠派と磯部派が消えた後に陸自内部は混迷の星雲状態に陥った」(防衛省幹部)。派閥抗争があってもそれが均衡していれば、奇妙な安定感を醸し出す。いま陸自には、この均衡すら消えて「番狂わせの岡部氏を引きずり降ろしたい力学が働いている」と前出幹部は指摘する。折しも北朝鮮の核ミサイル問題を巡る緊張で国防は予断を許さない。私利私欲と自己保身の闘争に明け暮れている場合ではないのだ。
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