《土着権力の研究》石川県 嵯峨家
転げ落ちる「地元メディア創業家」
2016年12月号
「北陸放送と北國新聞の融和路線は今後どうなるのか」
石川県の地元メディア関係者はこう語る。きっかけは十月に起きたある薬物事件だった。「北國新聞取締役 危険ドラッグ輸入の疑いで逮捕」(読売新聞十月二十日付)と報じられたもので、北國の嵯峨元・取締役が指定薬物である亜硝酸イソブチルを含む危険ドラッグ「ラッシュ」の液体が入った小瓶を米国から郵便で取り寄せた疑いで、石川県警に逮捕された。各紙報道によれば本人は容疑を認めているというが、石川県内でシェア六四%を誇る地元紙『北國新聞』はこの事件を一行も報じていない。「身内の恥」というだけではなく嵯峨一族自体が、北國新聞と北陸放送という地元二大メディアにおいて特別な意味を持つからだ。
北國新聞の「中興の祖」
北國新聞が創刊されたのは一八九三年(明治二十六年)。初代社長は長野県出身の赤羽萬次郎だ。「公平を性とし、誠実を体とし、正理を経とし、公益を緯とす」という創刊の理念を打ち立てた赤羽は、わずか五年後、三十六歳の若さで死去した。
後を継いだのは赤羽の実・・・
石川県の地元メディア関係者はこう語る。きっかけは十月に起きたある薬物事件だった。「北國新聞取締役 危険ドラッグ輸入の疑いで逮捕」(読売新聞十月二十日付)と報じられたもので、北國の嵯峨元・取締役が指定薬物である亜硝酸イソブチルを含む危険ドラッグ「ラッシュ」の液体が入った小瓶を米国から郵便で取り寄せた疑いで、石川県警に逮捕された。各紙報道によれば本人は容疑を認めているというが、石川県内でシェア六四%を誇る地元紙『北國新聞』はこの事件を一行も報じていない。「身内の恥」というだけではなく嵯峨一族自体が、北國新聞と北陸放送という地元二大メディアにおいて特別な意味を持つからだ。
北國新聞の「中興の祖」
北國新聞が創刊されたのは一八九三年(明治二十六年)。初代社長は長野県出身の赤羽萬次郎だ。「公平を性とし、誠実を体とし、正理を経とし、公益を緯とす」という創刊の理念を打ち立てた赤羽は、わずか五年後、三十六歳の若さで死去した。
後を継いだのは赤羽の実・・・