《クローズ・アップ》 益子 修(三菱自動車工業会長兼社長)
ユーザー愚弄する「社長居座り」
2016年11月号
この人の名字は「ますこ」と読む。栃木県にある地名や、そこを産地とする「益子焼」が念頭にあるためか「ましこ」と読んでしまう人が自動車業界関係者にもいる。
一九四九年二月生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部を卒業し、七二年に三菱商事に入社した。自動車車両部に配属されると、入社三年目には韓国に赴任。当時、三菱自動車工業と技術提携契約を結んだばかりの現代自動車との窓口役を果たした。その後、インドネシアで三菱車販売事業の立て直しを担当し、これも実現。三菱車の海外販売のプロとして評価され、二〇〇三年には執行役員自動車事業本部長に就いた。
当時、三菱自は二〇〇〇年に発覚した「リコール隠し」で業績が低迷中。ダイムラー・クライスラー(DC、当時)との資本提携で立て直しを目指したが、〇四年四月に突如、DCが経営支援を中止。三菱グループ主導で再建を図ることになり、その際に営業担当常務として三菱自に送り込まれたのが益子氏だった。〇五年の社長就任後は、黒字転換、過去最高益達成、三菱グループからの借金返済、復配など、次々に業績改善を実現。これを花道に一四年には相川哲郎氏・・・