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連載

追想 バテレンの世紀 連載127

造り変えられた「正統信仰」
渡辺 京二

2016年10月号

 日本の精神風土には、キリスト教が真に根づくには向かない何かがあるといった考えは、これまで繰り返して述べられてきた。芥川龍之介が一九二二年に発表した小説『神神の微笑』は、その代表的な一例である。
 主人公は「ウルガン・バテレン」として日本人に親しまれ、本人も猛烈な日本びいきであったミヤコ地方の宣教の統括者オルガンティーノで、舞台は京の南蛮寺である。
 ある春の夕、オルガンティーノは忍び寄る憂鬱を払いかねるままに祭壇に祈る。「この日本に住んでゐる内に、私はおひおひ私の使命が、どの位難いかを知り始めました。この国には山にも森にも、或は家家の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んでおります。(略)さうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。その力とは何であるか、それは私にはわかりません。(略)まずこの力を破らなければ、(略)邪宗に惑溺した日本人は波羅葦増の荘厳を拝する事も、永久にないかも存じません」。
 祭壇のあたりにけたたましい鶏声が聞えたかと思うと、内陣は尾長鶏の群れが充満し、続いて幻影が現われる。古代日本人の一群が酒を酌み交わし、桶の上で半裸の女が憑か・・・