《世界のキーパーソン》ユリア・ステパノワ(ロシア陸上選手)
祖国のドーピング「全暴露」の主役
2016年8月号
ユリアが最初に薬物のことを聞いたのは、十代の終わりごろ。トレーニング施設の夕食で、同僚の女子選手が言った。「そんなの誰でもやってることじゃん。(薬物を)やらなかったら、代表に選ばれるわけないよ。未来はないね」。
ユリアの種目は女子八百メートル競走。「二分を切って、世界の一流」とされる中、彼女は二分十三秒を出すのがやっとだった。思い切ってコーチに探りを入れると、「クリーンな選手は最高で二分五秒さ」と言われた。
やがてあるコーチが言う。
「結果を出したいのかい? じゃあ、この電話番号にかけて、自分の名前を言え。お前のことはこっちが調べた。大丈夫と分かった」
こうしてユリアの薬物レジームが始まった。二〇〇六年のことだ。
〇九年には自己ベストを連発した。この年の八月、「ロシア反ドーピング機関」(ルサダ)に勤務していたトレーナー、ビタリー・ステパノフとの初デートが人生を一変させることになる。
「自動車の中で、ドーピングについて話しているうちに大喧嘩になった」と、後にビタリーは回想する。若いビタリーは、組織内の薬物関係者の仲・・・
ユリアの種目は女子八百メートル競走。「二分を切って、世界の一流」とされる中、彼女は二分十三秒を出すのがやっとだった。思い切ってコーチに探りを入れると、「クリーンな選手は最高で二分五秒さ」と言われた。
やがてあるコーチが言う。
「結果を出したいのかい? じゃあ、この電話番号にかけて、自分の名前を言え。お前のことはこっちが調べた。大丈夫と分かった」
こうしてユリアの薬物レジームが始まった。二〇〇六年のことだ。
〇九年には自己ベストを連発した。この年の八月、「ロシア反ドーピング機関」(ルサダ)に勤務していたトレーナー、ビタリー・ステパノフとの初デートが人生を一変させることになる。
「自動車の中で、ドーピングについて話しているうちに大喧嘩になった」と、後にビタリーは回想する。若いビタリーは、組織内の薬物関係者の仲・・・