自民党「憲法改正草案」のでたらめ
議論妨げる野党時代の「負の遺産」
2016年8月号公開
あまりの悪評に、とうとう「歴史的文書」として扱われるようになりながら、今なお総理大臣在任中の改憲を目指す安倍晋三の重荷となっている。自民党憲法改正草案のことだ。効力を失った「古証文」と言えばいいものを、中途半端な位置づけにしたことで、野党や公明党にくすぶる疑念を払拭できない。背景には、草案の執筆者である党憲法改正推進本部副本部長・礒崎陽輔の執着心、憲法改正を自己目的化するあまり細部に目が行き届かず、礒崎任せになっていた安倍の依存心、そして、草案発表当時の総裁だった幹事長の谷垣禎一の無関心がある。
公明党も受け入れ難い
憲法学者や野党が問題視するのは、新設の緊急事態条項で国家が人権を制限できると明記したことや、基本的人権の保障を高らかに謳った九十七条を「人権は神から与えられたとする西欧の天賦人権思想は日本の伝統に合わない」として削除した点など、改正草案に散見される人権感覚の危うさだ。天賦人権説を否定すれば、近代法規は成り立たないとも言われる。十三条の「すべて国民は、個人として尊重される」を、「全て国民は、人として尊重される」と書き換えたあたりは、個人主義を否定した全体主義のにおいがすると、反発を招いた。総じて、権力者に抑制的なふるまいを求めた現憲法の理念が後退したとの批判が多い。
これでは、現憲法を高く評価する公明党も受け入れ難い。参議院選挙を経て党内事情がより複雑になっているから、なおさらだ。
今回の選挙の結果、参議院でも改憲勢力、つまり「安倍の改憲路線に最後は従うと見られる勢力」が三分の二以上を占めたのは、選挙区選で公明党公認候補七人全員を当選させるなど集票力の健在ぶりを見せつけた創価学会の貢献が大きい。集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更や安全保障法制など、安倍路線に追随する党執行部への不満を、「公明党の発言力が高まれば、自民党に唯々諾々と従う必要がなくなる」と前向きな発想に転換した成果であり、この期待感を公明党は無視できない。
そんな状況だからこそ、自民党憲法改正草案は格好の標的となった。安倍の総裁復帰前にできた文書だから、直接の総理大臣批判にならない利点もある。
一方、この選挙で「安倍政権のもとでの改憲阻止」を訴えた民進党は、憲法論議の主舞台である衆参両議院の憲法審査会を動かす条件として、自民党憲法改正草案の「撤回」を求めている。
こうなると自民党にとっては、公明党対策としても、憲法改正に前向きな保守系議員もいる野党第一党との対話を始めるためにも、改正草案を「古証文」にすることが合理的なはずだ。それができないのは、改正草案のお蔵入りを拒む勢力が強いからで、その急先鋒が、党憲法起草委員会事務局長として草案を書いた礒崎だ。
総務官僚出身で、『分かりやすい公用文の書き方』という著作もある礒崎の実務能力の高さは定評がある。参議院議員になってからは総理大臣補佐官などの立場で安倍を支え、集団的自衛権をめぐる政府見解の変更や安保法制策定にも奔走した。法に関する知識は党内で右に出る者はいないと自負しているようだが、憲法解釈の「法的安定性」を否定して批判を浴びるなど、自信家の顔が災いすることもあった。
改正草案への思い入れの強さは、その見直しを求める声に対し、「野党時代に作成した『歴史的文書』であり、改正などあり得ない」と、ツイッターなどで反論を繰り広げていることからも窺える。
「歴史的文書」という表現は、自民党が一九九三年の下野で初めて野党生活を経験した後、副総裁だった後藤田正晴らリベラル派を中心に新綱領が作られた際にも、旧綱領の有効性を主張する右派に配慮し、弥縫策として登場したことがある。礒崎の発信には、「憲法改正原案」を各党で作る時に備え、自民党憲法改正草案の有効性を維持したいとの思いがにじむ。
安倍も、「改正草案がそのまま通るとは思わない」としながら、「自民党案をベースに議論」とも強調している。少なくとも改正草案を「古証文」にする気はなさそうだ。もっとも、改正草案では、衆参いずれかの総議員の四分の一以上の要求で臨時国会の召集を義務づけた五十三条に、「要求から二十日以内の召集」と期日を明記したのに、二〇一五年に野党が五十三条に基づき行った臨時国会召集の要求を、安倍は拒んでいる。こうした態度を見る限り、改正草案を尊重しているとも思えない。
無きに等しい改憲戦略
改正草案の国家主義的な印象から、安倍自身や、「安倍政権を陰で操る右翼」として注目を集める日本会議が関与したとの見方もあるが、正確ではない。確かに起草委には、安倍に近い議員や日本会議とつながりのある議員もいた。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とした改正草案二十四条が「安倍や日本会議と同じ家族観」と受け止められてもいる。しかし、礒崎が安倍や日本会議の指示で書いた形跡はない。起草委の議論を踏まえたものの、最後は礒崎が国会職員に手伝わせて単独で書き下ろしたというのが実態だ。
安倍が改正草案に価値を見いだしているのは「リベラルの谷垣総裁の時代にできた」と強調することで、安倍政権に対する「右傾化」批判をかわす材料になるからだ。中身については側近の礒崎の説明に依存し、自ら咀嚼して理解しているわけではないのだ。
谷垣も改正草案が地雷と知りながら、批判への反応が鈍かった。総裁として安易に決裁した後ろめたさがあったからだ。
改正草案の内容のうち、憲法改正推進本部が総裁当時の谷垣に個別に是非を確認した条項は、天皇を元首とする規定、自衛隊を国防軍と位置づける条項、そして、国旗・国歌を定めた規定の三点だけだ。いくつかはリベラル派の谷垣が押し返すと目されていたが、あっさり全て承認された。野党ゆえの気軽さもあったのだろうが、谷垣の憲法改正草案に対する関心の薄さを物語ってもいる。
礒崎は「憲法改正推進本部と小委員会で七十回以上の会議と、総務会での三回の議論を経て決定した改正草案」と胸を張るが、野党当時、真剣かつ熱心にかかわった自民党議員はごく少数だ。物議を醸した十三条の「個人」を「人」にする変更も、何も全体主義を標榜したわけではなく、「この方が、響きがいい」という礒崎の「趣味」で決まったに過ぎない。
この程度の改正草案を切り捨てられず、国家主義的な色彩こそが「安倍改憲」の核心と見られるがままにしているようでは、安倍の改憲戦略など無きに等しく、建設的な憲法論議が深まるはずもない。(敬称略)
©選択出版
公明党も受け入れ難い
憲法学者や野党が問題視するのは、新設の緊急事態条項で国家が人権を制限できると明記したことや、基本的人権の保障を高らかに謳った九十七条を「人権は神から与えられたとする西欧の天賦人権思想は日本の伝統に合わない」として削除した点など、改正草案に散見される人権感覚の危うさだ。天賦人権説を否定すれば、近代法規は成り立たないとも言われる。十三条の「すべて国民は、個人として尊重される」を、「全て国民は、人として尊重される」と書き換えたあたりは、個人主義を否定した全体主義のにおいがすると、反発を招いた。総じて、権力者に抑制的なふるまいを求めた現憲法の理念が後退したとの批判が多い。
これでは、現憲法を高く評価する公明党も受け入れ難い。参議院選挙を経て党内事情がより複雑になっているから、なおさらだ。
今回の選挙の結果、参議院でも改憲勢力、つまり「安倍の改憲路線に最後は従うと見られる勢力」が三分の二以上を占めたのは、選挙区選で公明党公認候補七人全員を当選させるなど集票力の健在ぶりを見せつけた創価学会の貢献が大きい。集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更や安全保障法制など、安倍路線に追随する党執行部への不満を、「公明党の発言力が高まれば、自民党に唯々諾々と従う必要がなくなる」と前向きな発想に転換した成果であり、この期待感を公明党は無視できない。
そんな状況だからこそ、自民党憲法改正草案は格好の標的となった。安倍の総裁復帰前にできた文書だから、直接の総理大臣批判にならない利点もある。
一方、この選挙で「安倍政権のもとでの改憲阻止」を訴えた民進党は、憲法論議の主舞台である衆参両議院の憲法審査会を動かす条件として、自民党憲法改正草案の「撤回」を求めている。
こうなると自民党にとっては、公明党対策としても、憲法改正に前向きな保守系議員もいる野党第一党との対話を始めるためにも、改正草案を「古証文」にすることが合理的なはずだ。それができないのは、改正草案のお蔵入りを拒む勢力が強いからで、その急先鋒が、党憲法起草委員会事務局長として草案を書いた礒崎だ。
総務官僚出身で、『分かりやすい公用文の書き方』という著作もある礒崎の実務能力の高さは定評がある。参議院議員になってからは総理大臣補佐官などの立場で安倍を支え、集団的自衛権をめぐる政府見解の変更や安保法制策定にも奔走した。法に関する知識は党内で右に出る者はいないと自負しているようだが、憲法解釈の「法的安定性」を否定して批判を浴びるなど、自信家の顔が災いすることもあった。
改正草案への思い入れの強さは、その見直しを求める声に対し、「野党時代に作成した『歴史的文書』であり、改正などあり得ない」と、ツイッターなどで反論を繰り広げていることからも窺える。
「歴史的文書」という表現は、自民党が一九九三年の下野で初めて野党生活を経験した後、副総裁だった後藤田正晴らリベラル派を中心に新綱領が作られた際にも、旧綱領の有効性を主張する右派に配慮し、弥縫策として登場したことがある。礒崎の発信には、「憲法改正原案」を各党で作る時に備え、自民党憲法改正草案の有効性を維持したいとの思いがにじむ。
安倍も、「改正草案がそのまま通るとは思わない」としながら、「自民党案をベースに議論」とも強調している。少なくとも改正草案を「古証文」にする気はなさそうだ。もっとも、改正草案では、衆参いずれかの総議員の四分の一以上の要求で臨時国会の召集を義務づけた五十三条に、「要求から二十日以内の召集」と期日を明記したのに、二〇一五年に野党が五十三条に基づき行った臨時国会召集の要求を、安倍は拒んでいる。こうした態度を見る限り、改正草案を尊重しているとも思えない。
無きに等しい改憲戦略
改正草案の国家主義的な印象から、安倍自身や、「安倍政権を陰で操る右翼」として注目を集める日本会議が関与したとの見方もあるが、正確ではない。確かに起草委には、安倍に近い議員や日本会議とつながりのある議員もいた。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とした改正草案二十四条が「安倍や日本会議と同じ家族観」と受け止められてもいる。しかし、礒崎が安倍や日本会議の指示で書いた形跡はない。起草委の議論を踏まえたものの、最後は礒崎が国会職員に手伝わせて単独で書き下ろしたというのが実態だ。
安倍が改正草案に価値を見いだしているのは「リベラルの谷垣総裁の時代にできた」と強調することで、安倍政権に対する「右傾化」批判をかわす材料になるからだ。中身については側近の礒崎の説明に依存し、自ら咀嚼して理解しているわけではないのだ。
谷垣も改正草案が地雷と知りながら、批判への反応が鈍かった。総裁として安易に決裁した後ろめたさがあったからだ。
改正草案の内容のうち、憲法改正推進本部が総裁当時の谷垣に個別に是非を確認した条項は、天皇を元首とする規定、自衛隊を国防軍と位置づける条項、そして、国旗・国歌を定めた規定の三点だけだ。いくつかはリベラル派の谷垣が押し返すと目されていたが、あっさり全て承認された。野党ゆえの気軽さもあったのだろうが、谷垣の憲法改正草案に対する関心の薄さを物語ってもいる。
礒崎は「憲法改正推進本部と小委員会で七十回以上の会議と、総務会での三回の議論を経て決定した改正草案」と胸を張るが、野党当時、真剣かつ熱心にかかわった自民党議員はごく少数だ。物議を醸した十三条の「個人」を「人」にする変更も、何も全体主義を標榜したわけではなく、「この方が、響きがいい」という礒崎の「趣味」で決まったに過ぎない。
この程度の改正草案を切り捨てられず、国家主義的な色彩こそが「安倍改憲」の核心と見られるがままにしているようでは、安倍の改憲戦略など無きに等しく、建設的な憲法論議が深まるはずもない。(敬称略)
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