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連載

追想 バテレンの世紀  連載124

「鎖国」と米欧諸国
渡辺 京二

2016年7月号

 一六世紀中葉から一七世紀半ばに至る日欧接触は「鎖国」によって断たれた。むろんこれはポルトガル・スペインとの断交を意味し、それ以外のヨーロッパ船の来航を拒否したものではない。しかし仮にオランダ以外の商船の来航が許されたとしても、長崎で厳重に管理された貿易しか行われなかっただろうし、一六七三年英船リターンが長崎に来航し、日英貿易再開を望んで拒否されたのち、一八世紀末ロシアが派船して交易を望むまでは、徳川期日本と接触を望むヨーロッパ国家は現れなかった。
 リターンは英国王チャールズ二世の親翰まで持参していたのだが、長崎官憲はスペイン人・ポルトガル人の潜伏の有無を確かめるだけでなく、英人のキリスト教信仰について詮議し、英船の掲げるセント・ジョージ十字旗まで猜疑して掲揚を禁じた。最大の問題はチャールズ二世がポルトガル王女を妻としていたことで、これが幕閣の通商拒絶の理由となった。
 幕閣はこれを口実としたのではなく、実際にカソリック国との関係を憂慮したのであろう。島原の乱からまだ三五年しか経っていなかった。奉行以下長崎の役人たちは、オランダと同じ条件で日英交易が再開されるもの・・・