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連載

追想 バテレンの世紀  連載121

ポルトガル人追放の衝撃
渡辺 京二

2016年4月号

 長崎でポルトガル人追放令を伝達した上使太田は、同時に当地へ呼び出していた大名の使者たちに「浦々御仕置之奉書」を交付した。これはすでに江戸で在府の大名たちに伝達されていたのだが、改めて念を入れたのである。
 この奉書は領内浦々に常に確かな者を置いて、不審な船が現れたら改めることを命じたもので、幕府の念頭にある不審な船とは、むろんスペイン・ポルトガル船だった。つまり幕府はポルトガル人追放ののち、スペイン・ポルトガル船による報復が、日本沿岸で行われるのではないかと強く憂慮していたのだ。
 翌一六四〇年、前記したように、マカオ船が嘆願のため長崎へ来航して厳しい処分を受けた際、そのために下向した上使加々爪忠澄は、九州諸大名の使者を集め、領内に遠見番所を設置し、ポルトガル船を見かけたら、島原藩主高力忠房と長崎奉行に報知して、その指揮のもとに対処すべきことを命じた。しかも幕府は「浦廻上使」の名で船手頭を派遣して、沿岸の警備実施を検分する熱心さであった。
 これは各藩にとって相当な負担で、細川忠利は知人への手紙で、遠見番所に勤める者は藩で召し抱えねばならぬし、早船三〇艘・・・