日経新聞「FT事業室」の陰鬱な内情
買収後の「隠れ負担」が続々発覚
2015年10月号公開
「世紀の買収」と言われ、メディア界に衝撃を与えた日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズ(FT)の買収だが、二カ月もたたないうちに社内外で「大失敗」との評価がささやかれ始めた。日経が買収会見で強調したデジタル化、グローバル化でのシナジー効果が実際にはほとんどないとわかってきたからだ。むしろ社屋の家賃、退職者年金など隠れた負担がのしかかり、日経の屋台骨を揺るがすリスクが指摘されている。
日経がFT買収を発表したのが七月二十三日、その数日後には社内に「FT事業室」が設けられた。同事業室には買収契約を結着させるクロージング班と業務開発戦略チームが置かれた。大型のM&Aでは契約の最終的な詰めには専門の弁護士、会計士を交え、調整と契約文書づくりに手間と時間がかかる。クロージング班の目的は明快だ。
シナジーは「これから研究する」
だが、業務開発戦略チームについては日経社内に動揺が走った。
「FTと業務上どのようなシナジーがあるか研究する」と説明されたからだ。FT買収発表の記者会見で喜多恒雄会長はじめ幹部が買収理由で盛んに使ったのが「シナジー」という単語であり、FTとの間に働くシナジーは徹底研究したうえで一千六百億円という巨額買収の決断に至ったと誰もが思った。それが「これから研究する」と言われれば、記者会見での会長、社長の偉そうな口調ははったりだったのか、ということになる。日経社内には「大丈夫か」という不安感が広がっている、という。
FT事業室の人事を見ればなおさらだ。編集局、経理局などでそれなりに嘱望される人材で、欧米への海外駐在経験がある人を集めただけだったからだ。二十一世紀のグローバルメディアの本質やデジタル化に関して深い知見は持たず、通訳を付けてでもFT側と丁々発止の議論ができる人材は皆無といっていい。むしろ「将来の幹部候補に経験を積ませよう」といった程度の人事であることが明らかだった。
そもそも日経はじめ日本の在来型メディアに、先進的なネット技術を駆使したグローバルメディアを構想し、新しい価値を生み出そうというアイデアと実行力を持つ人材が育つわけはない。そうしたアイデアは新聞の基盤を脅かすことになるからだ。出る杭は打たれ、新聞の延長線上でのデジタル版でお茶を濁すくらいが日本の大手メディアとしては精一杯なのだ。
その底流には新聞社は新聞記者上がりが経営幹部を独占するという「編集絶対優位」の原則があるからだ。財務省、経産省、日銀などからのネタで役人たちの思惑に乗りつつ特ダネと称する記事を書き、政治家とつるんで政治、政局を動かしているつもりになっている記者が、二十一世紀のメディアを経営するセンスを身につけることはできない。大手紙の経営者にできることといえば、消費税引き上げの際に新聞にも軽減税率適用を求めるくらいのことだけだ。
「M&Aの苦労の九九・九%は買収が完了してから始まる」といわれるように、日経のFT買収の苦難はこれから始まる。だが、収益に結びつく具体的なシナジー効果もあやふやなまま、「経済紙同士だからシナジーが働くだろう」「電子版のノウハウを取得できるだろう」というだけで進んできた以上、その道はきわめて困難なものになる。
「東海道新幹線と京浜東北線でシナジーが働くか、といったレベルだろう」。ある大手製造業でM&A経験のある元トップは、FTと日経の件をこう評した。確かに新幹線で到着した旅客が東京駅で京浜東北線に乗り換えられれば便利であり、幾分かのシナジーは働くが、両方を結びつけたことで旅客数を一・五倍、二倍に増やせるわけではない。
FTはFT、日経は日経の読者がおり、日経とFTの経営体が同じになっても、それが新聞の価値を高め、読者を増やせる可能性は低い。日経にFTの翻訳記事が増えることを歓迎する読者はいるだろうが、その分、日経オリジナルの記事は押しやられ、FTの日本での読者は減る恐れがある。
両社のシナジー効果とは空想的なものにすぎない。デジタル技術に関してもFTの持っている技術資産は米新興メディアが次々と編み出しているものと比べて、お金を出して入手するほど斬新なものではない。
編集権は独立だが経費は依存
一方、FTにとって日経は「大きなお財布」になる。FTの営業利益は四十億円程度だが、それは本社家賃を負担せず、従来の親会社ピアソンが厳しい経費削減を進めてようやく出している利益に過ぎない。買収後、日経はロンドンのサザーク地区にある一万四千四百平方メートルのFT本社の家賃をピアソンに支払うことになるが、相場からみて年間一千万〜一千二百万ポンド、つまり二十億円前後になる。さらに日経を上回り、世界の新聞で最も好待遇とされる数百人分の退職者年金の面倒をみざるを得なくなる。かつて米国の自動車ビッグ3を破綻させたレガシーコストだ。
FT経営陣が日経の買収を歓迎したのは「ケチなピアソンに代わって、財源豊かな日経になれば取材経費はいくらでも増やせ、年金も従来の水準で担保される」とみたからだ。誇り高きFTが「日経とならグローバルメディアをつくれる」などと思ったわけではない。日経がFTに認めた「編集権の独立」とは「経費は依存」という文言が裏にはりついている。
深く考えれば、やめるべき買収案件に日経がのめり込んだ理由は経営トップにあるだろう。喜多会長は「電子版を成功させた立役者」とされ、かつて「日経のドン」と呼ばれた鶴田卓彦元社長をしのぐ権力者になったものの、社内の求心力は弱く、人望は薄い。「週刊文春」の記事になった女性問題は名誉毀損裁判で勝訴したものの、社員の多くは別の見方をしている。新聞業界内でも信望はなく、日本初の課金制電子版を軌道に乗せながらも、「新聞協会長に」という声すらあがらない。
多くの企業経営者は年老いて引退が近づけば、最後に求めるのは世間的な名誉だ。経団連や業界団体のトップとはある意味でそのためにある。それをかなえられない時、人は業界や世間をあっと言わせ、男を上げようとする。昨今の経営者はそれを大型M&Aで実現しようとする。M&Aは「買った経営者が名誉を占め、後を継ぐ経営者は苦労を拾う」といわれる。内部留保の大きい企業の経営者ほどそうした名誉欲のM&Aにかられる。
中国経済の失速で、世界経済が動揺するなかでは、経験則に従えば経済紙の広告、販売は真っ先に悪化する。日経がFTのもたらす負担にどこまでもちこたえられるかが、当面の課題になる。五年以内に日経がFTを手放す可能性は五〇%以上だろう。
日経がFT買収を発表したのが七月二十三日、その数日後には社内に「FT事業室」が設けられた。同事業室には買収契約を結着させるクロージング班と業務開発戦略チームが置かれた。大型のM&Aでは契約の最終的な詰めには専門の弁護士、会計士を交え、調整と契約文書づくりに手間と時間がかかる。クロージング班の目的は明快だ。
シナジーは「これから研究する」
だが、業務開発戦略チームについては日経社内に動揺が走った。
「FTと業務上どのようなシナジーがあるか研究する」と説明されたからだ。FT買収発表の記者会見で喜多恒雄会長はじめ幹部が買収理由で盛んに使ったのが「シナジー」という単語であり、FTとの間に働くシナジーは徹底研究したうえで一千六百億円という巨額買収の決断に至ったと誰もが思った。それが「これから研究する」と言われれば、記者会見での会長、社長の偉そうな口調ははったりだったのか、ということになる。日経社内には「大丈夫か」という不安感が広がっている、という。
FT事業室の人事を見ればなおさらだ。編集局、経理局などでそれなりに嘱望される人材で、欧米への海外駐在経験がある人を集めただけだったからだ。二十一世紀のグローバルメディアの本質やデジタル化に関して深い知見は持たず、通訳を付けてでもFT側と丁々発止の議論ができる人材は皆無といっていい。むしろ「将来の幹部候補に経験を積ませよう」といった程度の人事であることが明らかだった。
そもそも日経はじめ日本の在来型メディアに、先進的なネット技術を駆使したグローバルメディアを構想し、新しい価値を生み出そうというアイデアと実行力を持つ人材が育つわけはない。そうしたアイデアは新聞の基盤を脅かすことになるからだ。出る杭は打たれ、新聞の延長線上でのデジタル版でお茶を濁すくらいが日本の大手メディアとしては精一杯なのだ。
その底流には新聞社は新聞記者上がりが経営幹部を独占するという「編集絶対優位」の原則があるからだ。財務省、経産省、日銀などからのネタで役人たちの思惑に乗りつつ特ダネと称する記事を書き、政治家とつるんで政治、政局を動かしているつもりになっている記者が、二十一世紀のメディアを経営するセンスを身につけることはできない。大手紙の経営者にできることといえば、消費税引き上げの際に新聞にも軽減税率適用を求めるくらいのことだけだ。
「M&Aの苦労の九九・九%は買収が完了してから始まる」といわれるように、日経のFT買収の苦難はこれから始まる。だが、収益に結びつく具体的なシナジー効果もあやふやなまま、「経済紙同士だからシナジーが働くだろう」「電子版のノウハウを取得できるだろう」というだけで進んできた以上、その道はきわめて困難なものになる。
「東海道新幹線と京浜東北線でシナジーが働くか、といったレベルだろう」。ある大手製造業でM&A経験のある元トップは、FTと日経の件をこう評した。確かに新幹線で到着した旅客が東京駅で京浜東北線に乗り換えられれば便利であり、幾分かのシナジーは働くが、両方を結びつけたことで旅客数を一・五倍、二倍に増やせるわけではない。
FTはFT、日経は日経の読者がおり、日経とFTの経営体が同じになっても、それが新聞の価値を高め、読者を増やせる可能性は低い。日経にFTの翻訳記事が増えることを歓迎する読者はいるだろうが、その分、日経オリジナルの記事は押しやられ、FTの日本での読者は減る恐れがある。
両社のシナジー効果とは空想的なものにすぎない。デジタル技術に関してもFTの持っている技術資産は米新興メディアが次々と編み出しているものと比べて、お金を出して入手するほど斬新なものではない。
編集権は独立だが経費は依存
一方、FTにとって日経は「大きなお財布」になる。FTの営業利益は四十億円程度だが、それは本社家賃を負担せず、従来の親会社ピアソンが厳しい経費削減を進めてようやく出している利益に過ぎない。買収後、日経はロンドンのサザーク地区にある一万四千四百平方メートルのFT本社の家賃をピアソンに支払うことになるが、相場からみて年間一千万〜一千二百万ポンド、つまり二十億円前後になる。さらに日経を上回り、世界の新聞で最も好待遇とされる数百人分の退職者年金の面倒をみざるを得なくなる。かつて米国の自動車ビッグ3を破綻させたレガシーコストだ。
FT経営陣が日経の買収を歓迎したのは「ケチなピアソンに代わって、財源豊かな日経になれば取材経費はいくらでも増やせ、年金も従来の水準で担保される」とみたからだ。誇り高きFTが「日経とならグローバルメディアをつくれる」などと思ったわけではない。日経がFTに認めた「編集権の独立」とは「経費は依存」という文言が裏にはりついている。
深く考えれば、やめるべき買収案件に日経がのめり込んだ理由は経営トップにあるだろう。喜多会長は「電子版を成功させた立役者」とされ、かつて「日経のドン」と呼ばれた鶴田卓彦元社長をしのぐ権力者になったものの、社内の求心力は弱く、人望は薄い。「週刊文春」の記事になった女性問題は名誉毀損裁判で勝訴したものの、社員の多くは別の見方をしている。新聞業界内でも信望はなく、日本初の課金制電子版を軌道に乗せながらも、「新聞協会長に」という声すらあがらない。
多くの企業経営者は年老いて引退が近づけば、最後に求めるのは世間的な名誉だ。経団連や業界団体のトップとはある意味でそのためにある。それをかなえられない時、人は業界や世間をあっと言わせ、男を上げようとする。昨今の経営者はそれを大型M&Aで実現しようとする。M&Aは「買った経営者が名誉を占め、後を継ぐ経営者は苦労を拾う」といわれる。内部留保の大きい企業の経営者ほどそうした名誉欲のM&Aにかられる。
中国経済の失速で、世界経済が動揺するなかでは、経験則に従えば経済紙の広告、販売は真っ先に悪化する。日経がFTのもたらす負担にどこまでもちこたえられるかが、当面の課題になる。五年以内に日経がFTを手放す可能性は五〇%以上だろう。
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