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連載

誤審のスポーツ史 09

九秒八六を生んだ「意図的誤審」
中村 計

2015年9月号

 人類初の九秒八台への突入。それは「機械」よりも「人間の目」を信じたことによる偉業だった。

 一九八八年のソウル五輪における男子百メートル決勝で、ベン・ジョンソンが九秒七九という驚異的なタイムで金メダルを獲得したが、のちに薬物違反が発覚し失格。世界記録は再び九秒九台へとリセットされた。

 ソウル五輪の三年後、一九九一年に東京で第三回世界陸上競技選手権大会が開催された。陸上の華、男子百メートル決勝が行われたのは大会三日目、八月二十五日のことだ。翌九二年にバルセロナ五輪が控えていたこともあり、実力者が勢揃い。二大会連続の五輪金メダリストのカール・ルイス、九秒九〇の世界記録を保持していた新鋭リロイ・バレル、ソウル五輪銀メダリストのリンフォード・クリスティー等々。国立競技場のトラックは世界陸上に備え、当時はまだ世界的にも珍しい硬質のトラックに改装したばかりだった。そのせいもあり、予選から好タイムが続出。準決勝では、ルイスが九秒九三、バレルも九秒九四と、準決勝とは思えないハイレベルなレースが展開された。

 そして迎えた決勝―。三十・・・