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連載

追想 バテレンの世紀 連載112

いよいよ原城総攻撃へ
渡辺京二

2015年7月号

 何が板倉重昌をかくも性急に決意させたのか、うがったような説もないでもない。が、結局のところ、松平らの新上使の到着前に城を攻め陥したかったのであろう。諸藩はしぶしぶ命令を受領し、当然行動の足並は乱れた。寛永一五年(一六三八年)一月一日の原城総攻撃は最初から不運な星のもとにあった。

 戦場に抜け駆けはつきものである。攻撃は石火矢が三発放たれるのを合図に、夜明けに開始されるはずであったが、まだ暗いうちに鍋島勢が攻撃を始めてすぐに撃退され、それを見た有馬勢が続いたものの、これもまた敗退、そこでやっと石火矢の合図があって、松倉勢の出動となったが、これも反撃されて総崩れに終った。立花勢は浜辺の大手門から敵が打って出た場合の備えとして配置されていて、攻撃には参加していない。

 板倉重昌は諸藩兵の不甲斐なさにじれて、手勢を率いて塀際まで出撃し、采配を振るって攻撃続行を促したが、誰も応ずる者がいない。自ら塀に手をかけてよじ登ろうとするところを狙撃されて死んだ。傍らの副使石谷十蔵も傷を負った。

 現場にいた石丸七兵衛という男は、板倉は惣下・・・