三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

追想 バテレンの世紀 連載110

一揆勢の動向と各藩の対応
渡辺京二

2015年5月号

 本渡合戦に敗れた唐津藩兵は富岡城に籠った。城は天草下島の西北隅に突き出た小半島の突端にある。一揆勢は一一月一八日、半島の付け根の志岐に陣取った。ここはかつて布教が行われ、教会もあったところである。

 一揆勢は本渡で討ち取った三宅藤兵衛以下五人の侍の首を獄門に掛けた。この五人は「吉利支丹に敵対し背き奉」ったので誅罰するというのだ。「敵対」とは三宅が軍勢を率いて討伐に乗り出したことを指すに違いないが、三宅はまた合戦の前に、本渡で六名のキリシタンを処刑していた。それも土に埋めるという惨虐な殺しかたである。三宅らの梟首にはその復讐の意味もあったかも知れない。

 彼らはその前、上島北岸の五領村を焼き打ちし、舟で海上に逃れ出た村民に「キリシタンになるなら組に入れてやろう。さもなくば討ち果す」と迫った。村民は仕方なく改宗に同意したというが、同様な事例はほかにも多かったはずで、この一揆の性格に重要な光を当てている。

 城に籠った唐津藩兵は六、七百だったという。城攻めは一九日早朝から始まった。城方には大火矢・鉄砲も備わり、火薬・食糧の蓄・・・