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連載

本に遇う 連載185

悔いなき米朝の悔い
河谷史夫

2015年5月号

 芸は人なり。三代目桂米朝が去っていった。八十九歳だった。

「上方文化の象徴」「上方落語復興の立役者」「円朝と並ぶ落語中興の祖」との誄辞が捧げられた。

 いま東京にざっと四百人、大阪に百六十人からの噺家がいるといわれる。座布団一枚の上で、お供は扇子と手拭いだけという日本独特の一人芸の隆盛は喜ばしいことと言わなければならない。

 志ん生がなめくじ長屋に暮らしていたなど遠い話だ。いつかテレビで圓楽のお宅拝見を見ていて、その豪勢さに驚いたことがある。昇太が静岡の落語会に往復するのに、新幹線はグリーンだというので恐れ入らされたこともある。つまらない楽屋落ちだけが飛び交う「笑点」の二人は出演者だが、金回りだけはいいと見える。

 戦争で風前の灯になった落語を再興するには、幾多の人たちの献身があった。とりわけ上方落語にあって米朝の名前は永久に不滅である。「米朝という人は上方落語を復興するために天から遣わされたのではないか」と言ったのは落語作家小佐田定雄であった。

 米朝には「三人の師父」がい・・・