本に遇う 連載184
累々たる無責任体系
河谷 史夫
2015年4月号
政界とはさながら動物園だ。
さらば戦後よ、さあ戦前だと、やたら戦闘的なカンガルーもいれば、所構わずくっついて見せる盛りのついたサルもいる。
近ごろ現れたのは「不知鳥」だ。国の補助金を得た企業からの献金がばれていやいや辞任した農相をはじめ、同様の指摘を受けた幾人もの政治家が「知らなかった」「知らなかった」と言い逃れた。
補助金は税金だから、税金に援助された企業から政治家への寄金は税金還流になる。しかし補助金交付のことを「知らなかった」ことにすれば違法にはならない抜け道があって、「知らなかった」の斉唱となったのである。責任感覚なんざ、例によって微塵もない。
「知らなかった」で済むのだから、戦後七十年の日本政界は気楽なものだ。「知らなかった」が通らなかったのは戦前の帝国陸軍である。軍隊にあって兵隊は「知らなかった」と言ってはいけなかった。いかなる場合も「忘れました」でなければならなかった。
大西巨人の『神聖喜劇』は軍隊の不条理を、奇跡的な記憶力と執着力を持つ東堂太郎陸軍二等・・・
さらば戦後よ、さあ戦前だと、やたら戦闘的なカンガルーもいれば、所構わずくっついて見せる盛りのついたサルもいる。
近ごろ現れたのは「不知鳥」だ。国の補助金を得た企業からの献金がばれていやいや辞任した農相をはじめ、同様の指摘を受けた幾人もの政治家が「知らなかった」「知らなかった」と言い逃れた。
補助金は税金だから、税金に援助された企業から政治家への寄金は税金還流になる。しかし補助金交付のことを「知らなかった」ことにすれば違法にはならない抜け道があって、「知らなかった」の斉唱となったのである。責任感覚なんざ、例によって微塵もない。
「知らなかった」で済むのだから、戦後七十年の日本政界は気楽なものだ。「知らなかった」が通らなかったのは戦前の帝国陸軍である。軍隊にあって兵隊は「知らなかった」と言ってはいけなかった。いかなる場合も「忘れました」でなければならなかった。
大西巨人の『神聖喜劇』は軍隊の不条理を、奇跡的な記憶力と執着力を持つ東堂太郎陸軍二等・・・