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経済

暗転始まった「孫正義」

「赤字大出血」米子会社が深傷に

2015年3月号公開

 ソフトバンクの孫正義社長が米移動体通信三位のスプリント買収を発表してから二年半が過ぎた今、その誤算は誰の目にも隠しきれなくなっている。ソフトバンクの時価総額は同社の虎の子であるアリババ株保有分とほぼ同額であるため、ソフトバンク本体の市場価値はゼロといっても過言ではない。命運を懸けたスプリントの赤字は雪だるま式に拡大の一途をたどっている。もはや、この命綱は「現金焼却炉」と化し、勃興を遂げた「孫王国」は暗転への序章にさしかかった。

 スプリントの純損失は二〇一三年の三十億ドルから一四年には三十三億ドルに膨らみ、二年で六十三億ドルが吹っ飛んだ。フリーキャッシュフロー(FCF)に至っては二年間で八十一億ドルのマイナスを記録。二月十日の第3四半期決算説明会に出てきた孫氏は咳払いをしながら「風邪をひいた」「謙虚にいきます」と繰り返すのが精一杯だった。

 スプリント買収を発表した一二年十月の記者会見と比較すると、あまりにも好対照だった。当時、孫氏は「スプリント自らによる業績回復」「ソフトバンクの資金と戦略」を挙げて、こう言い切っている。

「我々は、日本からアメリカへの投資という意味で過去最大、日本の経済史で最大の投資を行う。この投資は成功するのか? 答えましょう。自信があります!」

 さらに、買収のための借金返済が可能な根拠として「ボーダフォンジャパン買収時の巨額借り入れの返済実績」「格付けの引き上げ」などを列挙。新体制を「成長のダブルエンジン」と自賛し、満面の笑みで締めくくった。


本家も財務改善の兆しなし


 ソフトバンクは二つの投資子会社を通じてスプリントへ二百二十一億ドルをぶち込んだ。買収が完了して子会社化したのは一三年七月。業界四位の米Tモバイル買収を諦めて、スプリントのCEOをダン・ヘッセ氏から携帯端末卸大手ブライトスター創業者マルセロ・クラウレ氏に交代したのが一四年八月だった。

 ところがスプリントの浮揚どころか、本家本元であるソフトバンクの財務改善の兆しすら見えない。昨年十二月末で同社の有利子負債は初めて十兆円を突破した。

 一方、中国のインターネット通販大手のアリババグループが昨年九月にニューヨーク証券取引市場に上場し、その創業時に出資していたソフトバンクは八兆円超の含み益を持つ。孫氏は「持分法適用のアリババの増益分がフルで連結するスプリントの赤字を埋め合わせられるようになるまでは、ソフトバンクは来期以降、減益になる」と認める。要は、買収したスプリントの再建にソフトバンクの企業価値の全てがかかっている構図なのだ。

 孫氏は自ら攻め込んだ米国でも守勢を余儀なくされている。

「中途半端な(half-assed)コマーシャル、中途半端なデータ速度だ。いかにもスプリントだ」。エキセントリックで知られるTモバイルのジョン・レジャーCEOは二月、全米最大のスポーツイベントで高い視聴率を誇る「スーパーボウル」のテレビ放送で、スプリントの「上位二社契約者乗り換え半額(half)キャンペーン」のCMが流れた際、こうツイートした。CMにロバ(ass)が登場することから、洒落を利かせてスプリントを攻撃したわけだ。

 これにスプリントのクラウレCEOが返答すると「おい見ろよ!返信ボタンを覚えたらしいぜ! リツイートボタンしか知らないと思っていたけどな」と挑発した。これも巧妙な戦略か。個性の強いトップのキャラを反映したTモバイルの派手なキャンペーン攻勢にスプリントは防戦一方だ。

 肝心の顧客流出が止まらない。携帯電話には「ポストペイド(後払い)型」と「プリペイド(前払い)型」の契約タイプがあるが、収益性が高く、経営指標で重要なのは「後払い」。買収後の後払い型契約者数の5四半期の動きは五・八万人増、二十三・一万人減、十八・一万人減、二十七・二万人減、三万人増と大きく減少した。

 同様にARPU(月額一人当たり通信サービス売り上げ)は六十四・一一ドル、六十三・五二ドル、六十二・〇七ドル、六十・五八ドル、五十八・九〇ドルと下落するばかり。逆に解約率は二・〇七%、二・一一%、二・〇五%、二・一八%、二・三〇%と右肩上がりになっている。


「カネを借りては使い果たす小学生」


 莫大な投資の末に、止まらぬ解約。時価総額でもTモバイルに抜かれ、もはや二強追撃どころか二弱同士で醜い争いを展開している。凋落の原因は、一体何か。

 外資系IT業界関係者は「客が離れる理由は明らかにスピードだ」と断言する。米調査会社ルートメトリクスによる無線品質調査でスプリントは総合八十六・六点で四社中三位となったが、五項目の内訳をみると「ネットワーク信頼性(九十・九点:三位)」「ネットワーク速度(七十一・〇点:四位)」「データ性能(八十一・四点:四位)」「コール性能(九十・六点:三位)」「テキスト性能(九十二・七点:二位)」となる。前述のTモバイルのレジャー氏のツイートの通り、問題は明らかに「中途半端なスピード」なのだ。

 契約者が不満に感じる「ネットワーク速度」の原因は、高速通信技術「LTE」化の遅れだ。この差はむしろ引き離されている。ではなぜ、号令とともに莫大な投資をしているにもかかわらず、LTE化が遅れるのか。孫氏が語らぬスプリントの技術的課題がある。

 高速無線をWiMAX中心にしていたスプリントでは基地局のインフラが他社と違う。これが技術的に負の遺産になっている。LTE化にあたり、バックボーン(基盤)の光回線を新たに整備し直さなければならない。今頃になって地権者と交渉している場所もある始末。だから他社より展開が遅い。

 つまり、「他社に追い付く」どころではない。他社がやすやすとLTE化しているなかで、スプリントだけが、穴を掘ってバックボーンを整備していたわけだ。買収後一年半以上が経過し、巨額のCFマイナスの末に、「準備が終わった」にすぎない。この間に四位のTモバイルにも顧客をどんどん奪われてしまったのである。

 では「二強(ベライゾンとAT&T)」はどれほど強いのか。移動体通信事業だけで見れば、上位二社ともにソフトバンク+スプリントと売り上げ規模は同レベル。だが企業グループとしての規模、財務、収益基盤ではソフトバンクより遥かに大きく強い。両社とも一千三百億ドル規模の売り上げ、二百億ドル規模の投資CF、そして百億ドルを超えるFCFを持っている。倍の規模ながら、負債比率は二〇%台と財務は健全だ。財務CFは毎年マイナス、つまり資金を株主に還元する余裕がある。「カネを借りては使い果たす小学生」のようなソフトバンクとは正反対である。

 消耗戦が続いた場合、既に十兆円の借金があるソフトバンクに体力勝負での勝ち目はない。現状を「ボーダフォンジャパン買収時に似ている」という孫氏の言葉は説得力を欠いている。下図はルートメトリクス社によるサービスエリアの分布である。濃く塗られている部分がLTE、薄い部分が二G~三G+、色のない部分はテストしていない地域。ベライゾンとの差は一目瞭然だ。サービスエリアの範囲の差もさることながら、スプリントは色が薄い二・五Gエリアが多い。これらを改善して追い付くまでにどれだけの資本投下が必要なのか。

 Tモバイル買収を考えると、二年は我慢して様子見する可能性が高い。孫氏は一六年十一月の次期大統領選を誰よりも気にしているはずだ。民主党オバマ政権下の連邦通信委員会(FCC)では業界四位Tモバイルの買収が認可されなかった。次期政権で共和党が勝利し、その後のFCC新体制での認可に期待するしかない。

 だが、共和党が勝つ保証はなく、新たなFCCが買収を認可してくれるメンバーになる保証も全くない。そもそも、売却を望んでいるドイツテレコムが来年もTモバイルの親会社であるとは言い切れない。なぜなら買収を繰り返す衛星放送大手ディッシュ・ネットワーク等もTモバイルを狙っているからだ。


撤退か、さらなる消耗戦か


 さらには「二年以内に現金が底をつく」との金融機関の分析もある。孫氏は「追い銭は出さない」と明言しているものの、壊れたエンジンの修理にソフトバンクとして「追加の資本注入をせざるをえない」のは明白なのだ。さらに「資金を投じ」「時間を稼いで」「運良く」Tモバイル買収を果たしたところで「二弱の合併は営業戦略面で優位になるが、重複エリアが多くインフラコストはあまりシナジーがない」(業界関係者)。資金需要が膨大なうえ、その先にも次の投資が待っているのだ。

 今のソフトバンクには確かに「アリババの資金力」というコンソーシアムの裏技がある。ところが通信は安全保障に直結することから、中国マネーはまず使えない。ソフトバンクの全社戦略と将来を考えた場合、撤退のマイナスは大きい。移動体通信の国内事業の伸びしろは限られており、海外展開は必要だ。事業環境を考えれば、米国以上に魅力的な国は見当たらない。規制業種で撤退すれば再参入の道は厳しくなる。撤退するにしても売却先が限られる。「ハゲタカファンド」という安易な考えならば再参入はますます遠のいてしまう。撤退か、さらなる資金注入と消耗戦か。スプリント事業の将来はこの二択だ。「夢」という名の強欲に憑かれた男の行く末には光明も出口も見えてこない。


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