「瀕死」の国内ゴルフ用品メーカー
競技人口「急減」でお先真っ暗
2015年2月号
二〇一五年問題―。日本のゴルフ市場を支えてきた団塊の世代が今年から続々と七十歳を迎える。ゴルフ競技人口の縮小は止まらず、コースの淘汰は既に始まっている。こうした中でゴルフ用品、特にメーカーを取り巻く環境が急速に悪化している。あるメーカー関係者は次のように語る。
「ゴルフクラブは他の運動種目とは異なる性格のスポーツ用品。刀や釣竿にも通じる趣味の道具であり、文化を作ってきた」
日本でのクラブの生産が産声を上げたのは昭和初期のことだった。刀鍛冶の技術を持つ兵庫・姫路の工場にアイアンの生産依頼が来たことに始まったとされる。それ以前は文字通り舶来品しかなかったクラブが、自国で生産されるようになり独自の進化を遂げてきた。
戦後、日本のゴルフ用品業界を牽引してきたのは言うまでもなくゴム業界である。昭和五年(一九三〇年)に英国企業のダンロップが、日本で初めてゴルフボールの生産を始めた。戦後、ダンロップ日本法人に住友グループが出資し、住友ゴム工業となった。ダンロップから遅れること五年、一九三五年にはブリヂストンが純国産糸巻ボール「スーパー」を発売した。
変わらぬビジネスモデル・・・