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連載

追想 バテレンの世紀 連載106

謎多き「島原の乱」の発端
渡辺 京二

2015年1月号

 寛永一四年(一六三七年)一〇月、島原半島の松倉領で、突如として旧キリシタンが蜂起し、即座に天草がそれに呼応して、果ては原城に籠った二万余の一揆勢を、十二万の幕府軍が包囲して殲滅するという、日本史上空前絶後の出来事が生じた。

 この事件についての論考は少なくはなく、特に最近では神田千里『島原の乱』という好著も出て、かなり解明が進んでいる。しかしそれでもなお、解明しきれない謎が残る。それは史料の残存状況のせいもある。

 関係史料は乏しいわけではない。天草在住の史家鶴田倉造編『原史料で綴る天草島原の乱』は、一二〇〇ページに及ぶ大冊である。しかもこの史料集には、『原城紀事』『耶蘇天誅記』といった後世の編纂物は、ごく一部を除いて含まれていない。そういった編纂物を収める林銑吉『島原半島史・中巻』の史料部分は九三三ページに及ぶ。

 しかし鶴田氏のいう「原史料」といえども、その大部分は島原藩・唐津藩・熊本藩・佐賀藩・久留米藩など、鎮圧者側の証言であり、一揆の当事者たる百姓側の証言は、投降者として名高い山田右衛門作の口上書あるのみと言っ・・・