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連載

追想 バテレンの世紀 連載105

理解できぬ宣教活動への嫌悪感
渡辺 京二

2014年12月号

 一六三七年九月、琉球でつかまった四人のドミニコ会士が長崎に連行されて来た。ちょうど長崎にいたカロンによれば、奉行に訊問された彼らは、禁令を十分承知した上でやって来た、皇帝の意志より神の意志が上である、迫害が厳しいほど、われわれの宣教の意欲は燃え上がるのだ等々と答え、立腹した奉行は絶句したという。

 クーケバッケルは同様な話を、一六三七年一〇月のこととして伝えている。伊予に漂着したイタリア人宣教師は訊問に答えて、自分は万の身体を持ちたい、ひとつの身体を殺されても、残った生命で日本全国をキリスト教にせずにはおかぬと述べ、これまた役人は激怒のあまり絶句した。

 宣教師たちの使命観は幕吏には理解を超えた執念、邪念とさえ感じられたのだろう。平戸侯は一六三五年にクーケバッケルに対して、皇帝や閣老はポルトガル人を憎んでいる、なぜなら宣教師を連れて来るのをやめないので、多数の罪のない人の血が流されるからだと語っている。

 宣教師のために要らざる血を流さねばならぬという観念は、幕府大官の口からもしばしば聞かれることになる。一六三九年、当・・・