東レ「ブラック企業」まがいの内情
「残業代ゼロ」が悲願の榊原会長
2014年8月号公開
財界総理となった榊原定征日本経済団体連合会会長のお膝元、東レにブラック企業まがいの疑いが浮上した。常識外れの残業を強いていた「前科」に加え、現在も過労死ラインぎりぎりの協定を労使間で結んでいるという。
政府が来年の通常国会への提出を目指しているいわゆる「残業代ゼロ法案」。この前哨戦が、九月から厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で始まる。第一次安倍内閣では「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼んで法律案要綱まで作りながら、世論の猛反発で閣議決定を断念した曰くつきの代物だ。
安倍内閣は、焼き直しである「時間ではなく成果で評価される制度への改革」を含む新成長戦略を六月二十四日、閣議決定した。
「産業競争力会議で特に熱心にこの制度を入れろと主張してきたのが、経団連会長の榊原定征氏だ」
労働問題に詳しい全国紙社会部記者はこう語る。四月二十二日の産業競争力会議では、「(残業代ゼロ法案は)経団連もかねて要望してきたところであり、是非実現をしていただきたい。熾烈な国際競争の中で、日本企業の競争力を確保・向上させるためには、労働時間規制の適用除外は必要不可欠である」と熱弁を振るった。
「過労死促進協定」の中身
経営側にとっては「いくら残業させても人件費が増えない」ため、長時間労働が助長されかねない。当然の懸念であり、日本労働組合総連合(連合)を筆頭とする労働団体はもちろん、過労死遺族や日本弁護士連合会などが強く反対している。こうした点について榊原氏は釈明している。
「個別企業の労使自治に委ねることを基本に据えた上で(中略)当面は過半数労働組合がある企業に限るということであり、適正な運用が可能である」
この発言は二つの問題を抱える。ブラック企業と呼ばれる企業のほとんどは労組さえ存在しない。まともな残業手当を支払わずに苛烈な残業を強いて過労死や自殺に追い込まれる人は後を絶たない。こうした、「元から残業代ゼロ」の労働者の存在を無視している。
もう一つ、過半数労組がある企業であれば抑制的に運用できるのかという重大な疑義だ。「全東レ労連」なる立派な過半数労組を持つ東レの実情を調べてみると驚くべき事実が浮上した。
「東レといえば、ワークライフバランスが進んだ企業というイメージです」
人材開発業界関係者はこう語る。これが一般的だというが、実はこの印象はひとえに同社の佐々木常夫元取締役(現東レ経営研究所特別顧問)の発言や著書が作り上げたものに過ぎない。佐々木氏は自閉症の長男や肝臓病と鬱病に苦しむ妻を守りながら家庭と仕事の両立に努力した人物。この経験を基に講演などを行っている。過去に週刊誌の連載で佐々木氏はこう記した。
「妻が最初の入院をしたのはちょうど課長の時だった。私は業務効率化の指揮をとり、長時間労働が当たり前だった職場を改革していった」
佐々木氏の経験は余人には推し量ることさえできないものであり、彼自身がこうした行動をとったことに、偽りはないだろう。
しかし、これによって東レ全体が変わったかというとそうではない。東レが労組と二〇〇九年まで結んでいた「三六協定の特別条項」では残業時間の上限は「百六十時間」だった。三六協定とは、労働基準法の三十六条で認められたもので、本来は違法である残業を過半数労組と協定を結ぶことで可能にするものだ。少し長いが、厚生労働省が定めている過労死の認定基準を引用する。
「発症前一か月間におおむね一〇〇時間又は発症前二か月間ないし六か月間にわたって一か月当たりおおむね八〇時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」(厚労省「脳・心臓疾患の認定基準」)
つまり毎月八十時間の残業というのが「過労死ライン」になる。にもかかわらず東レはその二倍の残業をさせることができる、いわば「過労死促進協定」を結んでいたのだ。榊原氏の語る「個別企業の労使自治」が色褪せるばかりか、経団連が推し進めようとする残業代ゼロ法案がいかに空恐ろしいものであるかが浮き彫りになる。東レ広報室は取材に対し、「『百六十時間』というのは一般の社員ではなく、会長や社長の専用車の運転手などの場合」と説明。現在は、運転手などを外部委託に変えることによって協定が変わったというが、その回答は驚くべきことに「(残業時間の)上限は月八十時間です」というものだった。重ねて書くが、国が定める過労死ラインは「月八十時間残業」だ。全東レ労連にも取材を申し込んだが、「答えることはできない」という木で鼻をくくったような回答しか来なかった。佐々木式の言葉を借りれば「常識の欠如」があるとしか考えられない。東レ関係者は声を潜めてこう語る。
「東レは研究開発に力を入れているが、技術者はつい働き過ぎてしまう。上司がブレーキ役にならなければならないのだが......」
政権の一部には、残業代ゼロとセットで「労働時間規制」を導入することで、批判をかわす考えもあるが、残業時間の上限として考えられているのは、「月八十時間から百時間という数字」(規制改革会議関係者)なのだ。東レの過労死ラインが大手を振って「国の基準」になるのであり「働き過ぎのブレーキ」どころか「過労死の
アクセル」になりかねない。
財界の見識が問われる
労働時間問題に詳しい宮里邦雄弁護士は、「月八十時間の時間外労働(残業)は長すぎる。過労死につながるような三六協定を見ても、『労使自治任せ』は破綻している。法律できちんと規制すべきです」と話す。
政権側が「労働時間規制」と並ぶ「歯止め」と考えているのが、「年収一千万円以上」という年収要件だ。残業代ゼロの法律が通った後、政令などで決めるとされるが、勤務医だった夫が過労自死で亡くなった「東京過労死を考える家族の会」の中原のり子代表は切実に訴える。
「私の夫は小児科医で、年収一千万円は超えていましたが、じゃあハイリスクでもいい、過労死してもいいのでしょうか。月六十時間の残業でも、過労で亡くなる人はいます。これ以上犠牲者を増やさないでほしい」
しかも政令は簡単に変えられる。榊原氏も、「(残業代ゼロの対象が)一握りの人だけというのでは全く意味がない。ぜひその適用範囲を広げていただきたい」と耳を疑う発言をしている。これでは経団連会長もブラック企業経営者と大差ない。東レはもちろん、この国の財界全体の見識を疑われかねない。
政府が来年の通常国会への提出を目指しているいわゆる「残業代ゼロ法案」。この前哨戦が、九月から厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で始まる。第一次安倍内閣では「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼んで法律案要綱まで作りながら、世論の猛反発で閣議決定を断念した曰くつきの代物だ。
安倍内閣は、焼き直しである「時間ではなく成果で評価される制度への改革」を含む新成長戦略を六月二十四日、閣議決定した。
「産業競争力会議で特に熱心にこの制度を入れろと主張してきたのが、経団連会長の榊原定征氏だ」
労働問題に詳しい全国紙社会部記者はこう語る。四月二十二日の産業競争力会議では、「(残業代ゼロ法案は)経団連もかねて要望してきたところであり、是非実現をしていただきたい。熾烈な国際競争の中で、日本企業の競争力を確保・向上させるためには、労働時間規制の適用除外は必要不可欠である」と熱弁を振るった。
「過労死促進協定」の中身
経営側にとっては「いくら残業させても人件費が増えない」ため、長時間労働が助長されかねない。当然の懸念であり、日本労働組合総連合(連合)を筆頭とする労働団体はもちろん、過労死遺族や日本弁護士連合会などが強く反対している。こうした点について榊原氏は釈明している。
「個別企業の労使自治に委ねることを基本に据えた上で(中略)当面は過半数労働組合がある企業に限るということであり、適正な運用が可能である」
この発言は二つの問題を抱える。ブラック企業と呼ばれる企業のほとんどは労組さえ存在しない。まともな残業手当を支払わずに苛烈な残業を強いて過労死や自殺に追い込まれる人は後を絶たない。こうした、「元から残業代ゼロ」の労働者の存在を無視している。
もう一つ、過半数労組がある企業であれば抑制的に運用できるのかという重大な疑義だ。「全東レ労連」なる立派な過半数労組を持つ東レの実情を調べてみると驚くべき事実が浮上した。
「東レといえば、ワークライフバランスが進んだ企業というイメージです」
人材開発業界関係者はこう語る。これが一般的だというが、実はこの印象はひとえに同社の佐々木常夫元取締役(現東レ経営研究所特別顧問)の発言や著書が作り上げたものに過ぎない。佐々木氏は自閉症の長男や肝臓病と鬱病に苦しむ妻を守りながら家庭と仕事の両立に努力した人物。この経験を基に講演などを行っている。過去に週刊誌の連載で佐々木氏はこう記した。
「妻が最初の入院をしたのはちょうど課長の時だった。私は業務効率化の指揮をとり、長時間労働が当たり前だった職場を改革していった」
佐々木氏の経験は余人には推し量ることさえできないものであり、彼自身がこうした行動をとったことに、偽りはないだろう。
しかし、これによって東レ全体が変わったかというとそうではない。東レが労組と二〇〇九年まで結んでいた「三六協定の特別条項」では残業時間の上限は「百六十時間」だった。三六協定とは、労働基準法の三十六条で認められたもので、本来は違法である残業を過半数労組と協定を結ぶことで可能にするものだ。少し長いが、厚生労働省が定めている過労死の認定基準を引用する。
「発症前一か月間におおむね一〇〇時間又は発症前二か月間ないし六か月間にわたって一か月当たりおおむね八〇時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」(厚労省「脳・心臓疾患の認定基準」)
つまり毎月八十時間の残業というのが「過労死ライン」になる。にもかかわらず東レはその二倍の残業をさせることができる、いわば「過労死促進協定」を結んでいたのだ。榊原氏の語る「個別企業の労使自治」が色褪せるばかりか、経団連が推し進めようとする残業代ゼロ法案がいかに空恐ろしいものであるかが浮き彫りになる。東レ広報室は取材に対し、「『百六十時間』というのは一般の社員ではなく、会長や社長の専用車の運転手などの場合」と説明。現在は、運転手などを外部委託に変えることによって協定が変わったというが、その回答は驚くべきことに「(残業時間の)上限は月八十時間です」というものだった。重ねて書くが、国が定める過労死ラインは「月八十時間残業」だ。全東レ労連にも取材を申し込んだが、「答えることはできない」という木で鼻をくくったような回答しか来なかった。佐々木式の言葉を借りれば「常識の欠如」があるとしか考えられない。東レ関係者は声を潜めてこう語る。
「東レは研究開発に力を入れているが、技術者はつい働き過ぎてしまう。上司がブレーキ役にならなければならないのだが......」
政権の一部には、残業代ゼロとセットで「労働時間規制」を導入することで、批判をかわす考えもあるが、残業時間の上限として考えられているのは、「月八十時間から百時間という数字」(規制改革会議関係者)なのだ。東レの過労死ラインが大手を振って「国の基準」になるのであり「働き過ぎのブレーキ」どころか「過労死の
アクセル」になりかねない。
財界の見識が問われる
労働時間問題に詳しい宮里邦雄弁護士は、「月八十時間の時間外労働(残業)は長すぎる。過労死につながるような三六協定を見ても、『労使自治任せ』は破綻している。法律できちんと規制すべきです」と話す。
政権側が「労働時間規制」と並ぶ「歯止め」と考えているのが、「年収一千万円以上」という年収要件だ。残業代ゼロの法律が通った後、政令などで決めるとされるが、勤務医だった夫が過労自死で亡くなった「東京過労死を考える家族の会」の中原のり子代表は切実に訴える。
「私の夫は小児科医で、年収一千万円は超えていましたが、じゃあハイリスクでもいい、過労死してもいいのでしょうか。月六十時間の残業でも、過労で亡くなる人はいます。これ以上犠牲者を増やさないでほしい」
しかも政令は簡単に変えられる。榊原氏も、「(残業代ゼロの対象が)一握りの人だけというのでは全く意味がない。ぜひその適用範囲を広げていただきたい」と耳を疑う発言をしている。これでは経団連会長もブラック企業経営者と大差ない。東レはもちろん、この国の財界全体の見識を疑われかねない。
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