皇室の風 71
鋼鉄製金庫内の革製金庫
岩井 克己
2014年7月号
宮殿の天皇執務棟「表御座所」地下の「表御服所」には高さ一メートルほどの鋼鉄製の金庫が置いてあり、更にその中に「手提げの革製の金庫」(元側近)があって「門外不出」の機密書類や懐紙などが入っていた。
故入江相政侍従長が昭和天皇から「大東亜戦争御回顧」を聴き書きした『聖談拝聴録』を故卜部亮吾侍従が表御服所で発見したのは昭和六十三年五月二十三日だった。第一回(昭和五十一年二月)から第十九回(同五十六年五月七日)に及ぶ聴取録と「結語」などが計十四袋に分けて詰められていたという(『卜部亮吾侍従日記』)。
その後、この『拝聴録』はいったん行方不明になったが、徳川義寛元侍従長の死後に遺族から「鞄」ごと返却された。しかし今は再び行方不明だ。
実は卜部は『拝聴録』発見から三日後にも再び表御服所で機密書類の探索にあたるはめになっていたことが最近わかった。
昭和六十三年五月二十六日付毎日新聞朝刊が「天皇陛下 駐屯軍撤退は不可 昭和三十年訪米説明 重光元外相、日記に記述」と報じた。中央公論社の新刊『続重光葵手記』の・・・
故入江相政侍従長が昭和天皇から「大東亜戦争御回顧」を聴き書きした『聖談拝聴録』を故卜部亮吾侍従が表御服所で発見したのは昭和六十三年五月二十三日だった。第一回(昭和五十一年二月)から第十九回(同五十六年五月七日)に及ぶ聴取録と「結語」などが計十四袋に分けて詰められていたという(『卜部亮吾侍従日記』)。
その後、この『拝聴録』はいったん行方不明になったが、徳川義寛元侍従長の死後に遺族から「鞄」ごと返却された。しかし今は再び行方不明だ。
実は卜部は『拝聴録』発見から三日後にも再び表御服所で機密書類の探索にあたるはめになっていたことが最近わかった。
昭和六十三年五月二十六日付毎日新聞朝刊が「天皇陛下 駐屯軍撤退は不可 昭和三十年訪米説明 重光元外相、日記に記述」と報じた。中央公論社の新刊『続重光葵手記』の・・・