不運の名選手たち 52
井川博文(プロ野球選手)遅かった「百五十キロ」投手
中村 計
2014年4月号
能力と環境。前者は十分だったが、後者に恵まれなかった。
「もっと早く気づけば、自分の人生は変わっていたかも」
夢の球速百五十キロに到達したのは二十六歳の秋、昨シーズンの最終戦だった。
「最後だから、ねらってみるか、って。楽しんで投げたぶん、力みが取れてよかったんだと思う」
昨年まで、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに所属していた井川博文は、鳥取名物のモサエビをほおばりながら振り返った。
身長百七十八センチながら、体重は八十五キロ。がっしりとした体の力投派の右サイドハンド投手だった。
一九八七年八月二十八日、井川は鳥取県倉吉市の隣町、大栄町(現・北栄町)で生まれた。実家は農家でスイカを作っている。小学四年生のときに野球を始め、そのときから腰を横に回転させボールを投げていた。
「上から投げろっていつも怒られていた。でも、上から投げてるつもりでも横になっちゃう」
小・中学・・・
「もっと早く気づけば、自分の人生は変わっていたかも」
夢の球速百五十キロに到達したのは二十六歳の秋、昨シーズンの最終戦だった。
「最後だから、ねらってみるか、って。楽しんで投げたぶん、力みが取れてよかったんだと思う」
昨年まで、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに所属していた井川博文は、鳥取名物のモサエビをほおばりながら振り返った。
身長百七十八センチながら、体重は八十五キロ。がっしりとした体の力投派の右サイドハンド投手だった。
一九八七年八月二十八日、井川は鳥取県倉吉市の隣町、大栄町(現・北栄町)で生まれた。実家は農家でスイカを作っている。小学四年生のときに野球を始め、そのときから腰を横に回転させボールを投げていた。
「上から投げろっていつも怒られていた。でも、上から投げてるつもりでも横になっちゃう」
小・中学・・・