言葉をなくした日本人アスリート
「哲学」語る海外選手との差は歴然
2014年4月号
地元への感謝。親への感謝。仲間への感謝。
先日閉幕したソチ五輪における日本人アスリートの「感謝」のオンパレード会見には、いささかげんなりした。聞こえはいいのだが、正直、またか、と。
そこには、まったく「個」が存在しない。スポーツを文化と呼べるだけの哲学がないのだ。
いったい、いつから日本人選手はこんなに言葉が貧しくなったのか。五輪の時期がくるたびに回顧される名言も、男子競泳の北島康介の「チョー気持ちいい」(二〇〇四年、アテネ五輪)や、「何もいえねえ」(〇八年、北京五輪)に代表されるように、言葉というよりは単なる感情の発露だけ。これでは子どもと同じではないか。少なくとも大人の言葉ではない。
ゴルフ解説者が嘆く。
「フィル・ミケルソンや、タイガー・ウッズを見るたびに、日本人選手もこうなれないものかなと思う。世界的に見て、一流プレーヤーで、かつ一流の受け答えができる人を、今まで日本は一人も輩出できていないと思う」
松山英樹は今、もっとも「一流プレーヤ・・・
先日閉幕したソチ五輪における日本人アスリートの「感謝」のオンパレード会見には、いささかげんなりした。聞こえはいいのだが、正直、またか、と。
そこには、まったく「個」が存在しない。スポーツを文化と呼べるだけの哲学がないのだ。
いったい、いつから日本人選手はこんなに言葉が貧しくなったのか。五輪の時期がくるたびに回顧される名言も、男子競泳の北島康介の「チョー気持ちいい」(二〇〇四年、アテネ五輪)や、「何もいえねえ」(〇八年、北京五輪)に代表されるように、言葉というよりは単なる感情の発露だけ。これでは子どもと同じではないか。少なくとも大人の言葉ではない。
ゴルフ解説者が嘆く。
「フィル・ミケルソンや、タイガー・ウッズを見るたびに、日本人選手もこうなれないものかなと思う。世界的に見て、一流プレーヤーで、かつ一流の受け答えができる人を、今まで日本は一人も輩出できていないと思う」
松山英樹は今、もっとも「一流プレーヤ・・・