武田薬品も臨床試験で「捏造」
ノバルティスより「悪質」な不正
2014年2月号公開
一月九日、厚生労働省はノバルティスファーマを薬事法上の虚偽・誇大広告の禁止に違反する疑いがあるとして刑事告発した。昨年から続く臨床研究の不正問題は、新たな段階に入ったことになる。
この話を聞いて、都内在住の内科医は「ノバルティスファーマの一件は氷山の一角。もっとひどいところがある」という。それは武田薬品工業だ。ノバルティスファーマの幹部も不満顔でこぼす。「うちのやったことなど、武田に比べれば可愛いものだ」。
「百例登録し、ベンツを買った」
疑惑を持たれているのは、「CASE-J」と呼ばれる降圧剤(血圧を下げる薬)の臨床試験である。二〇〇一年九月から〇五年十二月にかけて実施され、高血圧患者約四千七百人を対象に、武田薬品が販売するカンデサルタン(商品名ブロプレス)とファイザーなどが販売するアムロジピン(商品名ノルバスク)の、どちらが効果が高いかを比較した。
この研究は、日本人の被験者によるエビデンス(臨床データ)を作るため、日本高血圧学会が主体となって進めた医師主導臨床試験である。大規模多施設共同研究の要であるデータセンターは、京都大学EBM研究センターに設置された。
ただ、看板と中味には大きな乖離がある。表向きは医師主導を謳っているが、実情は「武田の『販売促進活動』の一環に過ぎない」(他の製薬企業社員)というのだ。
確かに、研究資金の出所をみれば一目瞭然だ。医師主導というからには、公的研究費で賄われていると思うだろう。ところが、実態は大違いだ。二〇〇〇年から〇八年にかけて、武田薬品から少なくとも二十五億円が、臨床試験のための奨学寄附金という形で京都大学に振り込まれている。いかに武田がこの試験を重視していたかが分かるだろう。
それもその筈だ。カンデサルタンは武田の目玉商品。一二年度は日本・欧州・アジアで一千六百九十六億円を売り上げた。販売促進に使える「都合のよいエビデンス」(前出内科医)を欲したのも無理はない。
武田薬品と他社の降圧剤を比較する臨床試験で、一方の企業からだけ巨額の寄附を受ければ、その結果がどうなるかは、いかにウブな人でも想像がつく。これを指して、世間では「利益相反行為」という。
CASE-Jにおける反則技は寄附金だけではない。データ管理でも武田の「手」が入っているのだ。
日本高血圧学会の幹部が「日本人のエビデンスを作る」と意気込
んでみても、大規模臨床試験のデータマネジメントの経験がない彼らには荷が重い。代わって、実際にデータセンターを仕切ったのが、他ならぬ武田の社員だった。
その中心人物が藤本明だ。開発本部の市販後調査部の主席部員など管理職を務めた大規模臨床研究に精通した人物である。
当時の高血圧学会の幹部であった猿田享男・慶應義塾大学教授、荻原俊男・大阪大学教授、中尾一和・京都大学教授(肩書は、いずれも当時)は、彼らが監修した『CASE-J物語』(先端医学社刊)という書籍の中で、藤本が「(CASE-J試験のデータベースの)システム構築に関して実質上、責任者となっていた」ことを明かしている。ちなみにこの書籍は、CASE-Jを正当化し礼賛するための「お手盛り本」である。
ところが、この藤本が〇八年以降に発表されたCASE-Jの一連の論文に、京大EBM研究センター研究部長の肩書で名を連ねているのだが、利益相反には言及していない。驚くべきことに、一部の論文ではコレスポンディング・オーサーを務めている。コレスポンディング・オーサーとは、研究グループを代表し、医学誌の編集部と交渉する人のことを指し、通常は研究全体をリードした人物が務める。研究者にとっては名誉な役回りとされる。
藤本は〇七年三月に、それまで在籍した武田薬品を辞め、京都大学に移籍した。だから、〇八年以降に発表された論文では利益相反はないと、日本高血圧学会や武田薬品は考えているようだが、誰がこんな理屈で納得するだろうか。
この研究に協力した武田薬品の社員は藤本だけではない。社をあげて、CASE-Jを支援したと言っていいだろう。
CASE-Jでは、当時まだ珍しかったウェブを介したデータ入力システムを採用した。これには、パソコンが必要だ。事務局である京大EBM研究センターは、武田薬品からの奨学寄附金で高級機種のノートパソコンを購入し、ソフトウェアプレインストールで、ネット接続カードまでつけて、研究に参加する医師たちに配った。
この研究に参加した開業医は「パソコンのセットアップ、入力方法の説明、さらに実際の患者登録やデータ入力まで武田薬品のMR(営業担当者)がやってくれた」という。
研究期間中は、全国規模の研究会が各地で頻繁に開催され、医師たちも招待された。もちろん、武田薬品のMRが随行し、夜は接待が待っている。
医師への利益提供は、これだけではない。「一例登録すると十万円が貰えた。知人は百例登録し、ベンツを買った」と証言する医師までいる。無論、実務を担当したのは武田のMRだ。武田の奨学寄附金が、京都大学を経由して、医師たちの懐を潤わせたことになる。
「ディオバン」事件と全く同じ構図
利益相反があろうが、医師が儲けようが、臨床試験により高血圧の研究が進めば、患者にとっては福音だ。
ところが、「CASE-Jは医学的にも問題が多い」(循環器専門医)という。学会・論文発表での不正の可能性が指摘されている。
最も問題視されているのは、心血管イベント(異常)の発生数である。当初はカンデサルタン群(武田)の方が他社より心血管イベント発生数は多かったが、十八カ月以降、その差は急速に縮まっていく。
〇六年に福岡で開催された国際高血圧学会で提示されたカプラン・マイヤー(生存率)曲線では、両群の心血管イベント数が四十二カ月で交叉し、四十八カ月の時点では、アムロジピン群(ファイザー)の方が心血管イベントの発生数は多かった。
カンデサルタンを飲み続けていると、ある時期以降、突然効き始めることになる。常識では、こんなことはあり得ない。前出の循環器専門医は「臨床研究途中で、何らかの介入が行われたためだろう」という。
CASE-Jの論文は世界の一流医学誌に投稿されたが、「イベント発生数が不自然なため受理されなかった」(同前)と言われている。最終的に米国心臓協会の発行する『高血圧』誌に掲載された論文では、カプラン・マイヤー曲線で、四十二カ月以降のデータが削除されていた。多くの臨床研究の専門家は「解釈捏造」と批判する。
さらに疑惑は続く。武田の本領発揮は、ここからだ。実はCASE-Jは「武田薬品にとって失敗だった」(医療ジャーナリスト)という。それは主要評価項目の心血管イベントで、カンデサルタンとアムロジピンの間に有意な差がなかったからだ。これでは、薬価の安いアムロジピンを使う医師が増えてしまう。武田薬品は大金をドブに捨てたことになる。このままでは担当の藤本は責任を問われる立場になる。
汚名をまぬがれるべく、藤本が推し進めたのがサブグループ解析だ。サブグループ解析とは、臨床研究が終了後、一部の患者だけを取り出して解析することである。何度も繰り返し、都合のいい結果が出た場合にだけ発表されることが多く、医学的な評価は低い。
このサブグループ解析こそが、製薬企業の得意技だ。前出の他の製薬企業社員は「かつては大学からデータを貰ってきて、製薬企業の社員が解析し、都合のいいデータが出たら、医師の名前で発表し、それを販促に使っていました」という。
CASE-Jでは、武田薬品の社員自らが大学に乗り込み、サブグループ解析を行ったことになる。藤本は京大赴任以降、五報のサブグループ解析の論文を発表している。そして、その成果は、『日経メディカル』などの医療業界誌や日経BP社のサイトで大げさに紹介された。例えば、「カンデサルタンは新規糖尿病発症を有意に抑制」や「カンデサルタンには降圧とは独立した左室肥大退縮作用」のような感じだ。ノバルティスファーマの渦中の薬剤「ディオバン」と全く同じ構図である。
とりわけ、糖尿病領域への強引な誘導が目立つ。それは、武田がアクトスやベイスンなど糖尿病領域に大型商品を有していたからだ。これらの薬剤は、既に医師への販売ルートが確立されていた。よって、このルートで情報を流せば、カンデサルタンの売り上げを効率よく増やすことができたわけだ。
ただ、カンデサルタンは糖尿病に適応がない。製薬企業が適応外の効用を宣伝するのは、薬事法違反である。ノ社は、まさにこの問題で刑事告発された。
「不買運動」は避けられない
これまでの展開をみると、CASE-Jの問題点は、ディオバン事件と瓜二つであり、武田がノ社の二の舞いになっても全く不思議ではない。現在、武田の経営が危機に立たされているのは、小誌前号で詳報したとおりだ。CASE
-J問題は、経営悪化に追い打ちをかける可能性が出てきた。
ディオバン事件で、ノ社の売り上げは三百億円以上減少した。多くの医師が、同社の薬剤を使うのを控えたからだ。もし、CASE
-Jの不祥事が露見した場合、同様の「不買運動」は避けられないだろう。果たして、現在の武田薬品に、それを乗り切るだけの体力は残っているだろうか。(敬称略)
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