不運の名選手たち 49
櫛部静二(マラソンランナー)箱根二区「大ブレーキ」の呪縛
中村 計
2014年1月号
事実上の「最後通牒」だった。
「おまえはわからん」
ヱスビー食品に入社し、七年目のある日のことだ。練習では走れるが、試合になると失速する。長い間、そんな状況に陥っていた櫛部静二は、監督の瀬古利彦についに匙を投げられた。
「あの瞬間、辞めようと思いました。ここではもうできない、と」
走っている最中に、もうひとりの弱い自分が顔を出す―。そんな錯覚にとらわれるようになったのは、一九九一年の箱根駅伝がきっかけだった。
当時の早稲田大学は長い低迷期の中にあった。そこで九〇年、世界的なランナーとして活躍し、ヱスビー食品陸上部の監督だったOBの瀬古が母校のコーチを兼任することになる。その瀬古が九一年に再建の柱として連れてきたのが「早大三羽烏」と呼ばれた櫛部、花田勝彦、武井隆次の三人だ。
全十区、計二百十七・九キロの長丁場で争われる箱根駅伝は、先行逃げ切りが定石だ。その年の早稲田も一区から三区まで期待の一年生トリオを並べた。中でも「花の二区」と呼ばれ、各大学ともエース級を投入してくる最・・・