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連載

追想 バテレンの世紀 連載93

変化する弾圧の空気
渡辺 京二

2013年12月号


 長崎において宣教師追捕が激化したのは、末次平蔵政直が代官に就任してからで、彼の提供した情報によって、長谷川権六はスピノラらを捕縛できたのだという。

 平蔵はイエズス会系のキリシタンで、朱印船貿易家として富を積んだ。村山等庵の姻戚だったのに、等庵が平蔵の父興善から借りた銀一五貫目を返済しようとしないのを怒って、一六一六年江戸へ赴き数々の非行をあげて等庵を告発した。

 川島元次郎の『朱印船貿易史』によれば、等庵の支配する長崎外町は「刻々人家櫛比の巷と変ぜしも、彼(等庵)は之に対して地子銀を徴し、村々には年貢を出さしめ、己は運上銀僅に二十五貫目を上納するのみ、差益は皆彼の懐に入り、幾程もなく金銀山の如き身上とな」ったという。平蔵は等庵を蹴落して、外町代官といううま味のある地位に就きたかったのだ。

 平蔵が並べ立てた訴因は、等庵が支配地からの収入の大半を私していること(自分が替ってその地位に就けば倍以上の運上銀を納める)、宣教師たちをかくまったこと、女の問題で一五、六人を殺したこと等、多岐にわたったが、等庵は各条み・・・