誰も止められぬ「安倍独走」
派閥復活が必要か
2013年11月号
自民党から民主党に政権交代が行われた二〇〇九年八月の衆院選挙。この歴史的な選挙で、民主党からは百四十三人もの新人議員が誕生した。中には選挙を仕切った小沢一郎の一存で比例代表名簿に登載され、当選した本人が困惑したような議員もいた。いわゆる「小沢チルドレン」たちだ。この素人集団をどう教育するのか。これが難題だった。そこで選挙後に幹事長になった小沢一郎の肝煎りで始まったのが通称「小沢学校」だ。新人を十班に分け、二十人の国対副委員長が二人一組で指導に当たった。
しかし、今思い返してもその内容の馬鹿馬鹿しさには開いた口が塞がらない。国会の仕組みに始まって、国会内の施設の利用法の説明。出欠は厳しく管理された。まるで幼稚園だ。小沢一郎の挨拶も・園長・と言ってよかった。
「馬鹿馬鹿しいようだが、それも一つの経験、修業。必ず誰かが見ている。与えられた仕事をこなす中から将来の展望も開ける」
しかし結果は、多くの新人が国会議員に与えられた特権に己を見失い、有権者から厳しい審判を下された。一二年選挙で生き残ったのは百四十三人のうちたったの十一人に過ぎなかった。