本に遇う 連載166
松岡二十世という人
河谷史夫
2013年10月号
人の一生をたどるとき、蘇ってくる言葉がある。例えば―
「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれ来る。彼は科学者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれたらう、然し彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚く可き事実である」
「改造」懸賞論文の二席だった小林秀雄「様々なる意匠」の一節である。一席は芥川龍之介を論じた宮本顕治の「『敗北』の文学」であった。宮本は文芸評論家にもなれたろう。しかし日本共産党のボス以外のものにはなれなかった。
松岡二十世という人がいた。
一九〇一年の生まれ、仙台支藩の登米藩で代々祐筆を務めた家を継ぐ父親は、新世紀への希望と期待から「二十世」と名づけた。
秀才であった。中学四年修了で第二高等学校(仙台)へ二番で合格し、さらに東京帝国大学法学部政治学科へ進んだ。「末は博士か大臣か」はともかく、流れに棹さしていれば順調な人生は保証されていたのも同然であったろう。
関東大震災が来た。二十世は東京帝大セツルメント運動に参加し、新人会に属・・・