不運の名選手たち44
藤田修平(高校野球選手) 甲子園に帰れなかった「ボークの人」
中村計
2013年8月号
ボールを左手に握ったまま、突然、ゲームセットが宣せられた。
「何が起きたかわからなかったんですけど、負けたことだけはわかりました」
当時、宇部商業高校(山口県)のエースだった藤田修平は、目の前のシーンを惚けたように眺めていた。
2―2の同点で迎えた延長十五回裏、無死満塁。ボールを投げようと捕手とサイン交換をしているときだった。両手を上げた球審が突如として打者の前に立ちはだかり、三塁走者に本塁生還を促した。そしてランナーが小躍りしながらホームベースを駆け抜けて行く。
2―3。サヨナラ負けだった。
まだ二年生だった藤田は、公称では「身長百七十二センチ、体重六十キロ」としていた。が、そこには小さな嘘が含まれていた。
「体重は六十キロなかった。でも相手になめられないよう、ちょっと上乗せしていました」
試合が終わったことだけは辛うじて理解していたという藤田の小枝のような体は、まるで夏の陽炎のように頼りなく揺れていた。
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「何が起きたかわからなかったんですけど、負けたことだけはわかりました」
当時、宇部商業高校(山口県)のエースだった藤田修平は、目の前のシーンを惚けたように眺めていた。
2―2の同点で迎えた延長十五回裏、無死満塁。ボールを投げようと捕手とサイン交換をしているときだった。両手を上げた球審が突如として打者の前に立ちはだかり、三塁走者に本塁生還を促した。そしてランナーが小躍りしながらホームベースを駆け抜けて行く。
2―3。サヨナラ負けだった。
まだ二年生だった藤田は、公称では「身長百七十二センチ、体重六十キロ」としていた。が、そこには小さな嘘が含まれていた。
「体重は六十キロなかった。でも相手になめられないよう、ちょっと上乗せしていました」
試合が終わったことだけは辛うじて理解していたという藤田の小枝のような体は、まるで夏の陽炎のように頼りなく揺れていた。
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