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連載

追想 バテレンの世紀 連載86

見逃されていたキリシタンたち
渡辺 京二

2013年5月号

 長崎の教会堂を破却し終えると、長谷川左兵衛は一一月一七日、山口直友とともに旧有馬領に赴き、当時長崎と並んで最も強固な信徒団の壊滅にとりかかった。

 有馬直純は八月に日向国延岡へ転封されて、旧有馬領は左兵衛の管轄のもと天領となっていた。『イエズス会年報』はこの転封は、キリシタン領民の改宗拒否に手を焼いて、直純自身が望んだと記している。『当代記』には「左衛門佐(直純)国替セラレ、相移ル処ニ、家中ノ者一人モ之ニ随ハズ、伴天連ノ宗派タルニヨルナリ」とあるが、「一人モ」というのは誇張に違いないとしても、相当数の家臣が信仰ゆえに、主従の縁を切って旧領、当時の呼名では高来に留まったのである。

 左兵衛たちは有馬ついで口之津で峻烈な迫害を開始した。主だった信徒に棄教を迫り、拒絶すると拷問を加え、鼻を削ぎ指を切り、妻女は遊廓におとすと脅した。一一月二五日に彼らが長崎へ去るまで、有馬で二〇名、口之津で二二名が殉教した。

 だがこの迫害で注目すべきなのは、左兵衛が有馬・口之津以外の地は見逃したことである。担当の役人が「もう信者はいない」と報・・・