《政界スキャン》
必要な「テレビ改革」
2013年3月号
テレビ六十周年である。一九五三年二月にNHKテレビが、八月に民放初の日本テレビが開局した。三番手のラジオ東京(現東京放送・TBS)がテレビを始めたのは二年遅れの五五年四月だった。
テレビ時代が五五年十一月の保守合同(自民党結成)と同時期にスタートしたのは偶然でしかないが、興味深いとも言える。なぜなら、テレビの普及とともに政治は次第に変質し、ついにはテレポリティックス(テレビ政治)という言葉まで生むに至ったからだ。テレビの歩みと戦後政治、とりわけ自民党の盛衰とは深く結びついているのである。
しかし、初期の自民党リーダー、岸信介、池田勇人、佐藤栄作らは官僚派首相ということもあったが、テレビを敬遠気味だった。映像を通じてアラが映し出されるのではないかと恐れたのである。
テレビを積極活用しようとした首相は中曽根康弘が最初で、「劇団四季」を主宰する演出家の浅利慶太が振り付けを買ってでた。だが、テレビ活用といっても向き不向きがある。露出を嫌った大平正芳、竹下登らは向いていなかった。
いまも人気を保つ田・・・
テレビ時代が五五年十一月の保守合同(自民党結成)と同時期にスタートしたのは偶然でしかないが、興味深いとも言える。なぜなら、テレビの普及とともに政治は次第に変質し、ついにはテレポリティックス(テレビ政治)という言葉まで生むに至ったからだ。テレビの歩みと戦後政治、とりわけ自民党の盛衰とは深く結びついているのである。
しかし、初期の自民党リーダー、岸信介、池田勇人、佐藤栄作らは官僚派首相ということもあったが、テレビを敬遠気味だった。映像を通じてアラが映し出されるのではないかと恐れたのである。
テレビを積極活用しようとした首相は中曽根康弘が最初で、「劇団四季」を主宰する演出家の浅利慶太が振り付けを買ってでた。だが、テレビ活用といっても向き不向きがある。露出を嫌った大平正芳、竹下登らは向いていなかった。
いまも人気を保つ田・・・