《日本のサンクチュアリ》学習院
「皇族教育機関」の終焉
2013年1月号
秋篠宮家の長男悠仁親王のお茶の水女子大学附属小学校入学がこのほど発表された。戦後、皇族が学習院以外の小学校に通うのは初めて。“将来の天皇”から袖にされた形で、皇族の「学習院離れ」を改めて印象づけた。遠からず在籍する皇族が一人もいなくなることも予想される。伝統の「皇室ブランド」で知られる名門学習院で、一体何が起きているのだろうか――。
目白駅からほど近くに学習院大学の正門があり、どっしりとした門柱が風格を漂わせる。門標「學習院大學」は第十八代院長安倍能成(哲学者)の揮毫だ。
敗戦で存廃の岐路に立たされた学習院を私学として再興した「中興の祖」である。
木立に包まれた構内に入ると、すぐ目の前に古い木造二階建ての「旧皇族寮」。奥まで進むと、さらに古ぼけた木造平屋の「乃木館」がある。第十代院長乃木希典が寄宿舎で学生と起居を共にした建物である。いずれも四年前に国の登録有形文化財に指定された。
さらに奥にある馬場の傍らには小さな「乃木号碑」が建つ。日露戦争の旅順攻防戦で勝利・・・