《日本のサンクチュアリ》日本体育協会
「スポーツ貧国」にした元凶
2012年8月号
一九一二年、第五回オリンピック(ストックホルム大会)に日本は初めて出場した。日本の近代スポーツが歩みだしてから百年の節目に当たる今年もまた、オリンピックが始まっている。
正確に言えば、日本近代スポーツの発足はストックホルム大会の前年、選手の派遣に備えて「大日本体育協会」が設立された一一年である。設立に尽力し、初代会長として貢献したのは講道館創設者の嘉納治五郎だ。後に、日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員も務めた。戦後、組織の名称を「日本体育協会(日体協)」に変えたが、設立当初からオリンピックへの選手派遣だけでなく、日本におけるスポーツの振興を掲げてきた団体だ。
役割終えた「国民体育大会」
「国体が、日本のスポーツ振興を阻む癌だ」
全国紙のベテラン運動部記者はこう語る。八〇年のモスクワ五輪ボイコットを原因として、主にスポーツの政治からの独立性を確保することを目的に、日体協内部の一委員会でしかなかった日本オリンピック委員会(JOC)が独立した。結果として、日体協が主体的に・・・