絶望に至る日本の外交
民主党政権では「再建不能」
2012年8月号
「少なからず総理はショックを受けているようだ」─。首相野田佳彦の側近は、自民党の元首相森喜朗の政界引退の報に接してこう漏らした。野田にとって森は野党の実力者ながら、よき理解者であり、隠れた指南役だったからである。野田と森は同じ早稲田大学出身ということもあったが、野田が森にアプローチしたそもそものきっかけは森が有するロシア大統領プーチンとの太いパイプだった。森のサポートを得ることで、日ロ外交ひいては日本外交全般の立て直しを狙っていた。
民主党政権になって最初の首相鳩山由紀夫は、沖縄・米軍普天間基地の移設問題をめぐって迷走を続け日米関係に大きな亀裂を生んだ。鳩山を継いだ菅直人も二〇一〇年九月の沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事故の処理を誤り、以来日中関係は冷え切ったまま。まさに政権交代後の日本は内政もさることながら「外交崩壊」の坂道を転げ落ちた三年間でもあった。
その崩壊した外交の再建に向けて野田が狙いを定めたのが日ロ関係に風穴を開けることだった。