皇室の風47
黄色い旗と停まった時計
岩井克己
2012年7月号
新聞社をリタイアしたのを機に、五月末、東北の震災被災地を見て回った。
昨年、天皇・皇族の一連の被災地見舞いに同行取材してからほぼ一年。あの時は三陸海岸沿いの道路が寸断されていたため、天皇・皇族が飛行機とヘリで入る場所へ内陸から先行して待ち受け、主に避難所見舞いだけ取材して東京にとんぼ返りせざるをえなかった。それぞれの被災地を「点」として短時間訪れたにすぎなかった。
そのことの疚しさ、せめて「線」として辿って広域災害の規模の大きさを体感しておかねばとの思い。そして東京で都会生活にかまけて知らず知らず忍び寄る震災体験風化への危機感……。そうした思いがない交ぜになって、一年後の現地を見ておきたかった。
東北自動車道仙台南インターで降りて仙台市若林区荒浜地区からスタートして、主に国道四十五号を海岸沿いに北上。塩竈市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市などを二泊三日の駆け足でめぐった。
自らハンドルを握って「線」として・・・
昨年、天皇・皇族の一連の被災地見舞いに同行取材してからほぼ一年。あの時は三陸海岸沿いの道路が寸断されていたため、天皇・皇族が飛行機とヘリで入る場所へ内陸から先行して待ち受け、主に避難所見舞いだけ取材して東京にとんぼ返りせざるをえなかった。それぞれの被災地を「点」として短時間訪れたにすぎなかった。
そのことの疚しさ、せめて「線」として辿って広域災害の規模の大きさを体感しておかねばとの思い。そして東京で都会生活にかまけて知らず知らず忍び寄る震災体験風化への危機感……。そうした思いがない交ぜになって、一年後の現地を見ておきたかった。
東北自動車道仙台南インターで降りて仙台市若林区荒浜地区からスタートして、主に国道四十五号を海岸沿いに北上。塩竈市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市などを二泊三日の駆け足でめぐった。
自らハンドルを握って「線」として・・・