「老化」が始まった中国
速すぎた成長の重い「代償」
2012年3月号
中国では毎年、何らかの「周年」を記念する行事や討論が繰り広げられる。昨年は「辛亥革命百周年」にあたり、内外で孫文や革命を問うシンポジウムが開催された。今年は「日中国交正常化四十周年」で、日中両国で様々な行事も予定されているが、中国側が最も意識しているのは、それではない。重視しているのは鄧小平氏の「南巡講話二十周年」である。
南巡講話は一九九二年春に鄧氏が上海、武漢、深圳など中国南部を回って発した、市場経済化の加速を求める呼びかけだ。八九年の天安門事件で国際制裁を受け、外資の投資が激減した中国では、七八年に鄧氏が発動した改革開放政策に抵抗する共産党長老の陳雲氏ら保守派の勢いが増し、市場経済化は停滞していた。そうした保守派への巻き返しこそ南巡講話であり、それが功を奏して、中国は「社会主義市場経済」を看板に掲げ、その後、成長路線を疾走することになった。
その成果は言うまでもない。国民の半数以上が貧困水準という途上国から、世界経済を牽引する一人あたり国内総生産(GDP)四千四百ドルの中進国への飛躍である。世界最大の人口国が、これほど短時間に中進国にまで成長したこと・・・