本に遇う 連載145
立川雲黒斎の遺言
河谷史夫
2012年1月号
一代の噺家が逝った。破天荒に見えて、細心配慮の人生であった。
談志とは一度会ったことがある。志ん朝のことを「あいつはいい時に死んだ」と言っていたが、思うに、談志もいい時に死んだ。「ダンシガシンダ」と、どこかの落語会に電報が来た。楽屋連中は言った。「祝電を打たなきゃ」と。
当人が生前「俺が死んだら回文が回る」と口にしていた。「もう駄目」とか「これで最後」は口癖であった。とかく冗談を大事にした仏である。弔電の祝電を受けたら、破顔大笑したことだろう。
新聞の一面に訃報が載り、社会面、学芸面で大々的に扱われ、「希代の天才」「第一人者」「風雲児」「カリスマ」等々、その死は最大限の賛辞に飾られた。NHKはテレビでもラジオでも追悼した。
各紙コラムを見ても、「語りの美学にこだわった芸人」(朝日)▽「落語の芸の極致」(毎日)▽「落語に焦がれ死にした人」(読売)▽「鬼気迫る出来・・・