追想 バテレンの世紀 連載66
錯綜した日欧接触
渡辺 京二
2011年9月号
アダムズは英国ケント州の人である。船大工の修業を終えると、方々へ航海し、その間オランダ人とも親しくなった。オランダはスペインに対して独立戦争を戦いつつ、一五九五年に初めてアジア遠征船団を送ったが、九八年出航の第二回遠征隊にアダムズは加わった。
船団は五隻で出発したけれど、大西洋、マゼラン海峡を経て、ペルー沿岸から太平洋を横断するときには、他船は引き返したり喪われたりして、残るはアダムズの乗るリーフデ号一隻になっていた。
太平洋横断には六カ月かかった。一六〇〇年四月一九日、現大分県臼杵市の佐志生に漂着したときは、生存者は二四人、そのうちやっと立って動けるのは、アダムズをいれて七人にすぎなかった。臼杵城主太田一吉は親切で、生存者を収容し、病人を手当してくれたが、こののちさらに六人が死んだ。
船は大阪に回漕され、アダムズが家康の前に引き出された。家康はアダムズから、オランダ人がスペインと戦争している事情も含め、根掘り葉掘り聞き出した。この間イエズス会士が彼らは海賊であ・・・