「アラブの春」とは何だったのか
問題を増やしただけの「革命」
2011年8月号
「革命」という言葉から何を連想するかは人それぞれ。といっても、まず思い浮かぶのは国王や独裁者が倒され、民主的な政治が確立される、といったフランス革命型の肯定的イメージだろう。しかし、近代以降の中東世界で「革命」が民主的な社会の生成と発展をもたらした例は皆無である。
散財の限りを尽くすファールーク王を自由将校団が追放したクーデターは「エジプト革命」(一九五二年)だ。国民の歓呼に迎えられたこの政変は「王制」を「共和制」に変更したことで典型的な革命であったと言えようし、腐敗した王の失脚という構図は、現在の民衆蜂起の主要求であった腐敗した大統領の追放にそっくりだ。
「歴史は繰り返す」というが、最初の革命でエジプトに真の民主主義が成長することはなく、逆に軍特権集団の「貴族化」をもたらして、結果として今日、新たな革命が起きる原因を作った。
これとは別に、この革命を率いたナセル大統領(当時)を信奉していた隣国リビアのカダフィ大佐は、「ジャマヒリーヤ」という新語を創造して人民社会主義の実験を導入した。これこそ「革命的」と呼べる政治のように見えたが、その実態は彼と・・・