失われる「アメリカン・ドリーム」
貧富の格差が危険水域に
2011年7月号
アメリカン・ドリーム――。
この言葉の定義は様々だ。たとえば、「ある日突然、大富豪となるチャンスが転がっている」といった、それこそハリウッド映画に出てくるようなシンデレラ・ストーリーに対して使われることもある。また、「貧しい境遇でも努力を重ねれば、巨万の富を得て成功する」という話もそうだろう。
この「努力すれば」というところが実は肝要だ。「若い世代は両親の世代よりも生活水準が上昇する」「郊外に白いペンキを塗った家を持つ」という素朴な成功もまた、アメリカン・ドリームとして言い表されてきた。むしろ大多数米国人の、それも主に白人にとってはこれこそが実現すべき「夢」だったのだ。
そして、この夢こそが、米国社会の道徳的規範を土台から支えてきた、と言い換えることもできる。二世紀半に満たぬ短い歴史しか持たないこの国において、アメリカン・ドリームという言葉は、実利的ではあるが、若い世代を正しい道に導く光であり、結果としてこの国の強さの潜在的熱源となってきたのだ。
そして今、米国の格差社会は極限にまで達している。最近ではこれに「失望」が加わり、米国・・・