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連載

本に遇う 連載138

傾いた家で荷風を読む
河谷史夫

2011年6月号

 大正十二(一九二三)年九月一日、東京には朝から強い風が吹き、時折煙のような雨が降った。
 永井荷風は麻布市兵衛町崖上の偏奇館に在り、『嚶鳴館遺草』を読んでいた。江戸中期、米沢藩主上杉鷹山の師として知られた儒者細井平洲が治世の骨法を語り、道徳の主眼を述べた随筆集である。五日前に九段下の古書肆松雲堂で求めたものであった。
 午前十一時五十九分、衝撃が来て、「架上の書帙頭上に落来」り、荷風は驚いて立ち上がった。窓を開くと、外は「塵烟濛々」として、あたり一面見分けがつかない。おんなこどもの声、鶏に犬の鳴き声がしきりに聞こえてくる。
 自分も外へ出ようとした。そこへ大地がまた震動した。本を手にしたまま庭へ出る。数分後またまた震動。続く余震。断腸亭主人は戦々恐々として過ごすのである。
 大作家に比するもおこがましいが、わたしも戦々恐々として消光している。東北沖からの余震もなかなか収まることがない。しかも連日、被災状況の深刻さに加えて後手、後手へ回る政府の政治主導の不首尾が伝えられるから、気分も定まらない。世界最悪といわれる液状化を来した町の傾いた家で、書棚・・・