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連載

不運の名選手たち17

長 義和(自転車競技)カネより五輪を選んだ天才の悲劇 
中村計

2011年5月号

 妻と、三人の子どもと、小ぎれいな一軒家と、真っ赤なデローザ。それが、あるいは十億円以上稼いでいたかもしれない人生と引き替えに手に入れた人生である。
 白衣とフラスコ―。
 長義和を初めて見た瞬間、そんな映像が思い浮かんだ。身長百七十一センチ、体重六十キロ。そして、銀縁のメガネと、ちょっと西洋風な顔立ち。元スポーツ選手というよりは現役の科学者のようだ。
「昔は、七十キロぐらいあったからね。上半身もパンパンだった」
 モスクワの悲劇といえば、個人としては、マラソンの瀬古利彦か、自転車の長だ。一九八〇年、もし日本がモスクワ五輪をボイコットしていなければ、二人はかなりの確率でメダリストになっていたことだろう。違っていたのは、瀬古にとってはモスクワが最初の五輪になるはずだったのに対し、長にとっては最後の五輪になるはずだった点だ。長にとってボイコットはイコール引退を意味していた。
「もう四年、同じ生活をするのはエネルギー的に無理だった」
 長は一九五三年、大阪で生まれた。小学四年生のとき、親に変速機付きの自転車を買ってもらい、自転車の虜・・・