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連載

追想 バテレンの世紀 連載62

揺れる秀吉のバテレン感情
渡辺 京二

2011年5月号

 一五九二年五月、かねて揚言していた通り、秀吉は朝鮮に出兵した。イエズス会にとって、キリシタン諸侯に軍役がふりかかってきたのも心痛の種だったが、秀吉の本陣が肥前の名護屋に構えられたのが何よりの脅威だった。
 バテレンが匿れ棲む大村領、有馬領は、名護屋から至近距離にある。彼らは学院を天草へ移し、鳴りをひそめたが、災難は思いもかけぬ方角から襲来した。
 フィリピンとの貿易に関わっている原田喜右衛門なる人物が、長谷川宗仁を介して秀吉に、フィリピンは防備手薄なので、威嚇すれば容易に服属させられると進言し、その結果、この年の五月末、原田孫七郎がマニラでフィリピン総督に、秀吉の威嚇的な国書を手交したのである。困惑した総督はひとまずドミニコ会士のファン・コーボを派遣して、秀吉の真意を探らせることにした。
 コーボは同年八月名護屋で秀吉と会見したが、この時ソリスというスペイン人商人が、通訳として同伴していた。彼はマカオでポルトガル商人と紛争を起こし財産を差し押さえられていたので、秀吉に、ポルトガル人は他国民の日本渡航を妨げ、財産も没収していると愁訴した。また、今回のインド・・・