《罪深きはこの官僚》寺坂信昭(原子力安全・保安院院長)
原発事故の陰の 「A級戦犯」
2011年4月号
東北関東大震災による福島第一原子力発電所の一連の事故対応で、原子力安全・保安院がその能力の限界をものの見事に露呈している。保安院は当初、情報公開で官邸を出し抜こうとし、会見で炉心溶融(メルトダウン)の可能性をいち早く公表。これが官邸の逆鱗に触れ、以降は「官邸と歩調を合わせるため、しゃべらない」と当然の如く、情報提供をためらうようになった。舌の根も乾かぬうちに、今度は被害の少ない五、六号機の再稼働に言及するというフライングを犯し、ついには官邸にその発言を否定されるという大失態まで演じた。保安院の情報には東京電力から裏が取れないものも多く、情報把握の拙さも同時に浮き彫りになった。
事故の現場対応でも保安院は及び腰だ。初期対応は東電に任せきり。原子炉、使用済み燃料プールの冷却がままならない状況に陥るや否や、ついには匙を投げ、官邸に現場対応の主導権を奪われた。東電、自衛隊、消防庁、警察が放射線を浴びながら、命がけの復旧作業を行う中で、原子力規制を司る保安院の存在感は皆無だ。
当事者意識の欠如が甚だしい保安院のトップ、寺坂信昭はといえば、地震発生以降、一度会見に出てきた・・・
事故の現場対応でも保安院は及び腰だ。初期対応は東電に任せきり。原子炉、使用済み燃料プールの冷却がままならない状況に陥るや否や、ついには匙を投げ、官邸に現場対応の主導権を奪われた。東電、自衛隊、消防庁、警察が放射線を浴びながら、命がけの復旧作業を行う中で、原子力規制を司る保安院の存在感は皆無だ。
当事者意識の欠如が甚だしい保安院のトップ、寺坂信昭はといえば、地震発生以降、一度会見に出てきた・・・