インド経済に急失速の兆し
流動性逼迫とインフレが交錯
2011年2月号公開
首都デリーは一月、実に四十二年ぶりの記録的な寒波が襲い、冬のデリー名物である「濃霧」が例年にも増して厳しくなっている。時を合わせるかのように、金融危機後の世界経済を牽引してきた好調インド経済に「急失速の兆し」が表れている。
中央銀行であるインド準備銀行(RBI)は昨年六回の利上げを行い、政策金利であるレポ金利を四・七五%から六・二五%へ、同リバースレポ金利を三・二五%から五・二五%へと各百五十ベーシスポイント(bp)、二百bp引き上げた。これに伴い卸売物価上昇率は、同年四月の一一・二三%(前年同月比)から十一月には七・四八%まで沈静化した。
ここまでは通常の金融引き締めによるインフレ期待の後退である。しかしここにきて「不可解な流動性逼迫」が表面化し、そこに「インフレ再加速」が交錯。常識的には理解しえない事態に、金融当局は「引き締めか、緩和か」で翻弄されており、濃霧に包まれたインド経済は視界不良に陥っている。
現金不足で銀行システム不全も
「流動性が逼迫している」
RBIのゴカーン副総裁が懸念を口にした。変調の始まりは昨年十月に遡る。金融引き締めに合わせて銀行間翌日物金利は下限となるリバースレポ金利水準から徐々に上限となるレポ金利水準まで上昇していたが、十月末にはついにレポ金利を二%上回る八・三%まで急上昇。思わぬタイミングで流動性逼迫に陥った。これに対し、中銀は十月二十九日に小規模の流動性供給を行ったが、十一月二日には「流動性逼迫は一時的要因」と判断して再び物価上昇対策を優先、昨年六度目の利上げを断行した。十一月に入り、中銀は再び追加流動性供給に動いたが、銀行間金利は七%台で高止まり。最大手の国営インドステイト銀行を筆頭に市中銀行は「資金が逼迫している一方、借り入れ需要は増大している」と懸念の声を上げ始めた。
世界的には「金余り」現象が問題視される中で発生したインドの「流動性枯渇」現象。原因は一体何か。当局やエコノミストたちが様々な観測を述べた。「ディワリ(インドの正月)による個人の現金引き出し」「財政拠出の過少」「低い預金金利」……。要因は種々考えられるが、「複数の一時的要因」との見解には、政府、中銀、金融界で大方の一致が見られた。しかし、その「常識的な勘」によるコンセンサスは、十二月に入りあっさり裏切られる。下がるはずの銀行間金利が下がらないのだ。
断続的な流動性供給で十分な効果を得られなかった中銀のスバラオ総裁は、「預金金利を上げて、貸出金利を下げるように」と市中銀行に対して異例の注文を突きつけ、「低い預金金利によって純金利マージン(NIM)を高く設定してきた市中銀行自身に問題がある」と責任転嫁を始めた。これに対し、市中銀行は「注文」に従い預金金利を引き上げはしたものの、「純金利マージンは正当なもの」と反発し、「中銀は流動性比率を下げるべき」と逆に注文を突き返した。中銀と銀行業界が対立する中、足元の流動性逼迫は依然収まらず、ついに中銀は十二月十六日、異例の「利上げ局面での流動性逼迫緩和」に動いた。金利を据え置く一方、法定流動性比率を二五%から一%引き下げ、最大四千八百億ルピーの国債買い取りも決めるなど大胆な施策を次々と打ち出した。にもかかわらず、一月に入っても流動性は枯渇状態が続いており、現金不足による銀行システム不全も顕在化する深刻ぶりだ。
一方、流動性枯渇をあざ笑うかのように、旺盛な内需を背景としたインフレ圧力は再噴出している。十二月の卸売物価上昇率は八・四三%と反転急加速を見せ、さらなる加速の兆しを見せている。
「タマネギは切って涙が出るものだが、今は買えずに涙を流している」。庶民の間ではこんな冗談が飛び交っている。沈静化に向かっていた食料卸売物価上昇率は十二月に入り再上昇、最終週で一八・三二%まで高進した。なかでもインド料理の最重要食材であるタマネギ類の卸売物価指数は前年比七〇%以上の上昇、地域によっては五~六倍に跳ね上がっている。
自動車市場は息切れ露わ
一月十一日、マンモハン・シン首相を中心に食料価格高騰について緊急協議が行われたが、結局、結論を導くことはできなかった。目先の高騰に対してどうしていいかわからない中で、インド政府は一月十三日、貿易赤字の増大に頭を抱えながら、食用油、豆類、米類の一部の輸出停止に踏み切った。
食品以外にも、あらゆる分野で値上げラッシュが起きている。年明け後、ガソリン、鉄鉱石、鉄鋼、ガス、非鉄、ゴム、自動車、家電各社は、一斉に値上げを実施した。このミクロの動きがマクロに反映され、再度ミクロに跳ね返るのはこれからだ。なかでも昨年、三一%成長が持続したインド自動車業界は、このインフレ圧力の高まりで息切れが見え始めている。
昨年十二月には「懸念することは何もない」と楽観的コメントを出していたインド自動車工業会だが、一月には「今年の自動車販売は、インフレとローン金利上昇を主因として一五~一八%成長まで減速する見通し」(同会のゴエンカ会長)とついに弱気に修正した。
日系自動車各社に〇八年の「悪夢」が甦る。「原材料コスト上昇」「金利上昇によるローン需要減退」「燃料価格上昇による需要減退」の三重苦だ。年明け後の値上げラッシュは、サプライチェーン上で「さみだれ式」に発生、値上げしたそばから値上げ圧力が高まっている。二月末に発表される一一年度予算案では景気対策で実施されていた小型車物品税減税が終了となる公算が大きい。値上げと増税のタイミングが重なると、需要急減は避けられない。さらに、大手行は一月に入り、一斉に貸し出しの最低利率を〇・二五~一%引き上げた。これにより「自動車ローン金利」も引き上げられ、今後ローン需要が低下することは確実だ。
ここに「燃料価格の上昇」も追い打ちをかけそうだ。インドは昨年六月にガソリン価格の自由化に踏み切ったことにより、国際原油市況の影響がよりダイレクトに伝わるようになった。石油大手は十二月、一月と二カ月連続で値上げを実施したものの、逆ザヤ分が解消されておらず、近くさらなる燃料値上げがあるとみられている。噴出するインフレの波に、自動車販売の急失速が現実味を増しており、活況のなかで生産規模拡大に突っ込む日系自動車各社はハードランディングに直面しかねない。
「あまりに低い数字だ。予想を超えている」。ムカジー財務相は一月十二日、二・七%という十八カ月ぶりの低成長となった鉱工業生産指数について記者団にこう語った。「流動性逼迫とインフレの交錯」の中で中銀は一月二十五日、レポ及びリバースレポ金利の〇・二五%引き下げを実施。タカ派ぶりを見せつけた。インド経済は濃霧の先に何があるか全くわからない状態だ。
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