「菅の跡目」狙って蠢く群像
不気味な「小沢―鳩山」連合
2010年12月号
ダウン寸前だった首相・菅直人は、北朝鮮のおかげで首の皮一枚つながった。十一月二十三日午後四時五分、北朝鮮軍砲撃の一報を知った首相のもとに真っ先に駆けつけたのは、官房長官の仙谷由人や官房副長官の古川元久ではなく、民主党国対委員長代理の斎藤勁だった。会談中に秘書官から刻々ともたらされた砲撃情報のメモは、断片的で報道の域を出るものではなかったが、「こういう状況下では、明日すぐに野党は問責決議案を出せないでしょう」との斎藤の分析に、菅は胸をなでおろした。
前日朝、舌禍事件を起こした法相の柳田稔を官邸に呼んでクビを言い渡した菅だったが、野党の攻勢を食い止めることはできず、二十四日には官房長官に対する問責決議案が提出されようとしていた。提出されれば、公明党も賛成にまわり、可決は確実だったからだ。
菅の精神状態は、十一月にはいって目に見えて不安定になっていた。十一月十六日、元連合会長、笹森清と会談したときも「やりたいと思うことがあっても衆参ねじれの状況では何もできない」「俺のところに官房長官も役人も来ない」としきりに愚痴り、「これからどうしていいかわからない」とまで言・・・