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連載

追想 バテレンの世紀 連載56

「バテレン追放」秀吉の真意
渡辺 京二

2010年11月号

 秀吉は老境へはいるにつれて、突発的な怒りの発作を抑えられなくなったようで、バテレン追放令の突然の発布は、その徴候の最も早い表われなのかもしれない。それはけっして十分に検討され準備された処置ではなく、怒りが積み重なり徐々に高まるうちに、衝動的に形をなして行ったのではないかと考えられる。
 前後の事情からして、彼のバテレンたちへの態度の急変が、モンテイロのポルトガル船廻航の拒否をきっかけとしていることは明らかである。表面上はにこやかに納得したように見せかけていたが、内心は穏やかではなかったに違いない。イエズス会が彼の求めに従って、ポルトガル船を提供することは、彼がもくろむ大陸経営の肝心要の一点であったからだ。博多廻航を言を左右にして断るというのは、彼らが度々明言してきた誠意を疑わせるに足ると、秀吉には感じられたはずだ。
 だが、それだけでは、火のついたような彼の激怒ぶりは説明がつかない。事態の進展ぶりを見る限り、激怒はその夜高山右近に求めた棄教が拒否されたことで噴出したのである。秀吉の第一の反応が、なぜ右近への棄教要求となって表われたのか、いまとなっては事情は皆目わか・・・