不運の名選手たち10
佐藤 信人(プロゴルファー)名人が陥った「パット恐怖症」
中村計
2010年10月号
パッティングの構えに入ると、途端に嫌な気分に襲われた。ヒジから先の感覚が麻痺し、三十センチ程度の距離でさえカップにかすりもせずに外してしまう。
「百本のパターに、百通りの握り方。いろいろ試しましたよ。体が固まっちゃうので『あー』って声を出したこともあった。『よーい、ドン!』で打ったりね」
今風のプロゴルファーのようなきらびやかさはない。佐藤信人は、町役場の経理担当者のような雰囲気を漂わせながら「パット恐怖症」の体験をそう語る。
彗星のごとく―。そう言っていい。佐藤がゴルフ界に「出現」したのはデビュー四年目、一九九七年のことだ。日本ツアーで初優勝を飾り、その後も二〇〇〇年には四勝を挙げ、賞金ランキング三位と大躍進。二〇〇二年には三勝し、今度は二位に食い込んだ。
当時、佐藤は異色のキャリアの持ち主としても注目を集めた。
佐藤が本格的にゴルフに打ち込み始めたのは、中学時代、陸上部を引退してからだ。高校時代は地元千葉の公立進学校に進んだため、ゴルフ部がなく、ひとりで練習に励んだ。「将来は普通に就職するつもりだった」と話す佐藤の進路が本・・・
「百本のパターに、百通りの握り方。いろいろ試しましたよ。体が固まっちゃうので『あー』って声を出したこともあった。『よーい、ドン!』で打ったりね」
今風のプロゴルファーのようなきらびやかさはない。佐藤信人は、町役場の経理担当者のような雰囲気を漂わせながら「パット恐怖症」の体験をそう語る。
彗星のごとく―。そう言っていい。佐藤がゴルフ界に「出現」したのはデビュー四年目、一九九七年のことだ。日本ツアーで初優勝を飾り、その後も二〇〇〇年には四勝を挙げ、賞金ランキング三位と大躍進。二〇〇二年には三勝し、今度は二位に食い込んだ。
当時、佐藤は異色のキャリアの持ち主としても注目を集めた。
佐藤が本格的にゴルフに打ち込み始めたのは、中学時代、陸上部を引退してからだ。高校時代は地元千葉の公立進学校に進んだため、ゴルフ部がなく、ひとりで練習に励んだ。「将来は普通に就職するつもりだった」と話す佐藤の進路が本・・・