三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

追想 バテレンの世紀 連載55

突然の「追放令」布告
渡辺 京二

2010年10月号

 秀吉が筑前箱崎へ凱旋したのち、突如として「バテレン追放令」を布告した一件は、歴史上往々見られる謎のひとつに数えられる。
 彼がイエズス会の宣教行為に対して、危険を感知したことが謎なのではない。異教の侵入に対して敵意を示した為政者は、イエズス会の開教以来数々存在したし、神社仏閣の破壊などの過激な行為を伴う宣教のありかたからすれば、為政者たちがそのような反応を示さない方が、むしろ不思議なのである。
 謎というのは、ぎりぎりまでパードレたちに好意を示して来た秀吉が、一夜にして彼らに対して激昂し、追放を言い渡した急変ぶりである。むろん、いろいろな解釈が行われてきたが、謎は依然として解けない。とにかく、事実経過を述べよう。
 

 コエリュは八代で秀吉に会ってのち、いったん長崎へ帰り、七月八日(邦暦五月三〇日)ごろ、フスタ船で博多湾頭の姪の浜へ着いた。フスタ船というのは快速の小型軍船で、かねて長崎警備のために配備されていたものである。コエリュは八代で秀吉から「博多でまた会おう」といわれていたし、具伸した・・・